旅限無(りょげむ)

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憲法9条に耐える方法 其の参

2005-09-09 12:05:26 | 社会問題・事件
其の弐の続き

■随分と増えた語学留学や御菓子を含めた料理修行、踊りの修行やスポーツ留学など、「本場」で様々な技芸を学びたい日本人が多くなりましたから、その中に武器の扱い方を学ぶ者が含まれても良いのではないでしょうか?それに加えて軍事に関連する留学生がもっと増えても良いと思いますなあ。ジャーリストになるにしても、企業の海外駐在員になるにしても軍事情報に精通するのは大切なことですし、日本の防衛を考えるにも基礎的な知識は欠かせません。いつまでも、軍事知識の無い人々が書き散らす夢物語や出来損ないの空想小説のような記事を読まされるのは敵いませんぞ!危機に瀕している国家予算を語る政治記者が、日本の防衛政策に通じていないようでは、国家の未来像など描けませんし、妙なオネエちゃん官僚が防衛費をメチャクチャに切り刻むような恐ろしい事件が起こっても、それをきちんと糾弾する記事も書けません。

■エンターテイメントの方が、ジャーナリズムに先行しているようで、映画とテレビ・ドラマになった『海猿』は海上保安庁の実態を国民に知らせてくれましたし、漫画やアニメの世界でもかわぐちかいじさんが『沈黙の艦隊』という大作を描いて海上自衛隊の姿を教えてくれましたし、最近の『亡国のイージス』も自衛隊が全面的に協力してくれました。実は陸上自衛隊が持っている装備には幾つかの致命的な欠陥が指摘されているのですが、武器や装備に関して詳しく報道すると、「軍事オタク」だの「戦争讃美だ!」などと見当違いの事を言い出す人がまだ多いようで、新聞各社はそれを恐れて軍事関連の記事は余り掲載しません。憲法9条を死守せよ!という主張は分かるのですが、そう言う人に限って中国の軍事力が不自然に増強されている事実や、北朝鮮が戦争準備に熱心で常時謀略活動を続けていた事にはまったく関心が無いような振りをするのが気になります。

■憲法9条で交戦権を捨てているにしても、正当防衛まで捨てているのではないのですし、自分の身を守るのは最終的には自分自身だという当たり前の事実を認めて、最悪の場合は「返り討ち」にして殺害する事も有り得るという前提で犯罪報道はされるべきではないでしょうか?ただ「怖いですねえ」「気を付けて下さいね」「これは社会全体の問題ですね」などと愚にも付かない事を電波や新聞を使って垂れ流していても意味は無いでしょうなあ。やっと犯罪被害者側の権利を重視する動きが出始めているのは誠に結構なことで、被害は常に自分にも及ぶ可能性が有ることを前提にしないと、治安回復の軌道には乗れないでしょう。明日は我が身、攻撃的防衛策を持たないことには、人権思想に守られた犯罪者ばかりが保護される歪(いびつ)な社会が変わらないでしょうなあ。憲法9条を守りながら国家の安全を守るのは神業に等しいことなのです。それを本当に知っているのか、はなはだ怪しい人たちが憲法を語るのは心配なことです。9条を守るのか日本を守るのか、犯罪者の権利を守るのか治安を守るのか、どちらかはっきりしてから発言して貰わないと、とんだ時間の無駄になるようなヨタ話を聞かされることになります。

■我慢の限界を超えて、近代国家が否定した「仇討ち」事件が何処かで起こるかも知れず、否、本当は実際に起こっているのに報道管制が敷かれていることも考えられます。それはともかく、犯人逮捕に協力ではなく、正当防衛の「返り討ち」が起こった場合に日本のマスコミはどんな扱いをするつもりなのか、ちゃんと準備は出来ているのでしょうか?過剰防衛との区別は慎重にしなければなりませんが、『忠臣蔵』や『網走番外地』が大好きな日本人ですから、止むに止まれぬ心情が伝えられたらどんな反応が起こるのか、想像するのは簡単です。長崎の小学校で起こったカッター殺人事件で、偶然に被害者の父親が新聞記者だったという事がありました。朝日新聞が襲われた赤報隊事件も起こりましたが、発信者が被害者になった時の言葉の混乱振りは痛々しいものです。どこかに無理が有るのです。我慢の仕方を考え直さないと、日本が犯罪天国になってその対応に莫大な税金を注ぎ込むハメになる前に、(もう手遅れらしいのですが)無抵抗主義を考え直す時期ではないでしょうか?

おしまい。

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