旅限無(りょげむ)

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日本の反核運動 其の壱拾弐

2005-09-09 12:08:52 | 外交・世界情勢全般
其の壱拾壱の続き

■こうしてイデオロギーの犠牲となった反核運動の陰で、最も苦しんでいたのは広島と長崎で被爆した人々でした。日本の厚生省が原子爆弾被爆者実態調査を実施したのは、東京オリンピックが開催された年の翌年の1965年11月1日であり、戦後復興の経済政策と政党間のイデオロギー論争ばかりが注目されていた戦後の20年間に、被爆障害に苦しむ人々は放置されていたのでした。そして、政府による正式な救済措置が決定されるのは、更にその後の事であり、被爆後に沖縄や朝鮮半島に戻っていた人々の実態調査や救済策が検討されるのは、更にその後の事なのです。原爆を日本の同胞が被った災厄として共に苦しむ心を持たなかった反核運動は、初めから国民運動として発展する契機を持っていなかったのです。沖縄と朝鮮半島は、今でも日本の大いなる宿題であり歴史的な負債を残す場所です。勿論、言い掛かりに等しい政治的な嫌がらせのような雑音も混ざりますが、国内の被爆者を放置した上に、海外に移動した被爆者を「外国人」として切り捨てたのは、日本の反核思想の弱さを証明してしまったと思われます。

■次の核兵器が使われる時、使用する者も殺戮される者も、同じ人間である事を認めるところからしか、核廃絶の声は上げられません。反核運動が大分裂を起こしたのが、イデオロギー対立の時代が原因だったと言うのは簡単です。しかし、冷戦時代が終って20年以上も経っているのに、今も世界が注目する反核大会を分裂したままで開催している現状は悲しむべきことです。かつて核兵器を独占していた五大国に対して挑戦する国々が出現して、NPT体制が動揺している時に、再び「良い核」と「悪い核」とを分けて語る風潮が強まっています。「核の平和利用」「対抗上必要不可欠の核武装」など言い方は変わりましたが、敵が持っているのは「悪い核」で自分が持っているのは「良い核」という構図は同じです。「核に良いも悪いも無い」の一言を発せられない日本は、きっと近い将来に自分自身が核武装しなければならなくなるような気がしますなあ。

■イデオロギーを争った時代から、石油資源の取り合い、やがて食料や水を奪い合う時代に入ります。それに未解決の民族問題と宗教問題が絡みつくと、核を投げ合うことになるでしょう。多くの宗教が地獄の業火のイメージを伝えていますし、神が異教徒を劫火で焼き滅ぼしてくれると信じている人々もいるのです。オウム真理教が愛用した「ハルマゲドン」は旧約聖書に記されている世界最終戦争を象徴する地名です。それが未来の予言と考えられるような世界になってしまえば、誰も核戦争を止めることは出来なくなるでしょう。しかし、日本は、神話や伝説ではなく、現実の核兵器の劫火を知っているのですから、他国とは違った視点を持っていると期待している人々も沢山いるようです。それに応えられる国になりたいものです。今回の総選挙のマニフェストの中に、反核運動の再統一を書いた政党は有りませんでした。

おしまい。

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