いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
マトリックス.16
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
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(||´ロ`)o=3 ゴホゴホ
(||´д`)o=3=3=3 ゴホゴホガハゲヘゴホガハ
(>Д<)カァーッ ( -д-) 、ペッ
…
一昨日あたりから咳が出てきだしました。
咳が止まらないだけで、それ以上でも、それ以下でもないのですが…。
こんにちは。本番に弱い男(マスク着用)です。
まぁ、いつものことだ。金曜日には治ってるでしょう。
ね、雲さん。
…
(  ̄ー ̄)ニヤリ
ヾ(`⌒´メ)ノ″ “ニヤリ”ってなんだ!
【chapter.17/監視人・エージェント】 vol.2
さて、前回のチャプターの続きを見てみましょう。
ここでも、とても興味深いセリフに出会えます。
黒ずくめの人々が行きかう中、ひときわ目立つ赤いドレスの美女。
すれ違う美女に、ネオも思わず目を奪われました。
「赤いドレスの女に見とれてたか? 振り返って見てみろ。」
モーフィアスに促され、背後を確認したネオの目の前にいたのは、赤いドレスの美女…ではなく、銃を向けたエージェントでした。
「ストップ!」
「これは…マトリックスじゃない?」
「訓練プログラムの中だ。“エージェント(監視人)”を知る為のね。」
「こいつは、何者?」
「プログラムの一つだ。コンピューターに直結し、ソフト間を自由に移動。プラグに繋がれているもの全てになり変われる。つまり、マトリックスの中の誰にでも変身できるということだ。我々は連中から逃げ続けてきたが、連中は監視人として常に人々を見張っている。いずれ誰かが戦わなければならない。」
「だれか?」
「君には正直に話そう。今まで彼らと戦った者は全て死んだ。連中のミス以外では勝てん。」
「なぜ?」
「パンチは壁を砕き、銃弾はことごとくかわされる。だが、マトリックスにも物理的限界がある。つまり、最後は君の強さと俊敏さが勝る。」
「俺も弾をかわせると言っているのか?」
「そうじゃない。君が真に目覚めれば…かわすまでもないんだ。」
これもね、自我(エゴ)の特徴を説明している、と言う風に解釈することができるかと思います。
「自我(エゴ)」は、実は個人的なものではありません。
「○○さんのエゴ」とか、「私の自我」というのはあり得ないんです。
(「ニュー・アース」をお持ちの方は、84ページの「エゴは個人的なものではない」の章と照らし合わせてみてください。)
これ、どういう風にご説明したらいいかなぁ…
例えばね、この「プログラム」を「感情」としてみましょう。
わかりやすいところで、「怒り」というエネルギーで考えてみましょうか。
「怒り」は個人的なものではありません。
先ほどのセリフを「怒り」を説明したものとして置き換えてみますよ。
「“怒り”って? こいつは何者?」
「プログラム(感情)の一つだ。コンピューター(自我)に直結し、ソフト(人間)間を自由に移動。プラグ(コンプレックス)に繋がれているもの全てになり変われる。つまり、マトリックス(仮想現実)の中の誰にでも変身できるということだ。我々は連中から逃げ続けてきたが、連中は監視人として常に人々を見張っている。」
「怒り」というエネルギーは、人から人へと連鎖します。
どうでしょう?
この意味、なんとなくでも掴めましたかね?
「エネルギー」という単語の言い方も、少し変えてみましょうか。
「怒り」という「思考パターン(プログラム)」は、人から人へと連鎖します。
仮に、喧嘩している(怒りをぶつけ合っている)2人がいるとします。
一般的な捉え方で見ると、この時の2人の様子は「お互いの個人的な感情をぶつけ合っている」と言う風に解釈されるかと思います。
でも、本当は違うんです。
「個人的な(別々な)感情」をぶつけ合っているのではなく、同じ「怒り」という自我に繋がるプログラムを「共有」しているんです。
「怒り」は個人とは関係のない、ただのプログラム(思考パターン)のはずなのに、すっかり「怒り」に飲み込まれ、「怒り」そのものになってしまいます。
モーフィアスの「(プログラムは、)プラグに繋がれているもの全てになり変われる。つまり、マトリックスの中の誰にでも変身できるということだ。」という説明は、そういうことなんです。
では、プラグ(自我)に繋がっていない人だったら、どうなるでしょうか?
そう。怒りを向けられても、その怒りをサラリと受け流す事が可能となります。
「君が真に目覚めれば…かわすまでもないんだ。」
←どうでしょう?伝わってますかね?
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(||´ロ`)o=3 ゴホゴホ
(||´д`)o=3=3=3 ゴホゴホガハゲヘゴホガハ
(>Д<)カァーッ ( -д-) 、ペッ
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一昨日あたりから咳が出てきだしました。
咳が止まらないだけで、それ以上でも、それ以下でもないのですが…。
こんにちは。本番に弱い男(マスク着用)です。
まぁ、いつものことだ。金曜日には治ってるでしょう。
ね、雲さん。
…
(  ̄ー ̄)ニヤリ
ヾ(`⌒´メ)ノ″ “ニヤリ”ってなんだ!
【chapter.17/監視人・エージェント】 vol.2
さて、前回のチャプターの続きを見てみましょう。
ここでも、とても興味深いセリフに出会えます。
黒ずくめの人々が行きかう中、ひときわ目立つ赤いドレスの美女。
すれ違う美女に、ネオも思わず目を奪われました。
「赤いドレスの女に見とれてたか? 振り返って見てみろ。」
モーフィアスに促され、背後を確認したネオの目の前にいたのは、赤いドレスの美女…ではなく、銃を向けたエージェントでした。
「ストップ!」
「これは…マトリックスじゃない?」
「訓練プログラムの中だ。“エージェント(監視人)”を知る為のね。」
「こいつは、何者?」
「プログラムの一つだ。コンピューターに直結し、ソフト間を自由に移動。プラグに繋がれているもの全てになり変われる。つまり、マトリックスの中の誰にでも変身できるということだ。我々は連中から逃げ続けてきたが、連中は監視人として常に人々を見張っている。いずれ誰かが戦わなければならない。」
「だれか?」
「君には正直に話そう。今まで彼らと戦った者は全て死んだ。連中のミス以外では勝てん。」
「なぜ?」
「パンチは壁を砕き、銃弾はことごとくかわされる。だが、マトリックスにも物理的限界がある。つまり、最後は君の強さと俊敏さが勝る。」
「俺も弾をかわせると言っているのか?」
「そうじゃない。君が真に目覚めれば…かわすまでもないんだ。」
これもね、自我(エゴ)の特徴を説明している、と言う風に解釈することができるかと思います。
「自我(エゴ)」は、実は個人的なものではありません。
「○○さんのエゴ」とか、「私の自我」というのはあり得ないんです。
(「ニュー・アース」をお持ちの方は、84ページの「エゴは個人的なものではない」の章と照らし合わせてみてください。)
これ、どういう風にご説明したらいいかなぁ…
例えばね、この「プログラム」を「感情」としてみましょう。
わかりやすいところで、「怒り」というエネルギーで考えてみましょうか。
「怒り」は個人的なものではありません。
先ほどのセリフを「怒り」を説明したものとして置き換えてみますよ。
「“怒り”って? こいつは何者?」
「プログラム(感情)の一つだ。コンピューター(自我)に直結し、ソフト(人間)間を自由に移動。プラグ(コンプレックス)に繋がれているもの全てになり変われる。つまり、マトリックス(仮想現実)の中の誰にでも変身できるということだ。我々は連中から逃げ続けてきたが、連中は監視人として常に人々を見張っている。」
「怒り」というエネルギーは、人から人へと連鎖します。
どうでしょう?
この意味、なんとなくでも掴めましたかね?
「エネルギー」という単語の言い方も、少し変えてみましょうか。
「怒り」という「思考パターン(プログラム)」は、人から人へと連鎖します。
仮に、喧嘩している(怒りをぶつけ合っている)2人がいるとします。
一般的な捉え方で見ると、この時の2人の様子は「お互いの個人的な感情をぶつけ合っている」と言う風に解釈されるかと思います。
でも、本当は違うんです。
「個人的な(別々な)感情」をぶつけ合っているのではなく、同じ「怒り」という自我に繋がるプログラムを「共有」しているんです。
「怒り」は個人とは関係のない、ただのプログラム(思考パターン)のはずなのに、すっかり「怒り」に飲み込まれ、「怒り」そのものになってしまいます。
モーフィアスの「(プログラムは、)プラグに繋がれているもの全てになり変われる。つまり、マトリックスの中の誰にでも変身できるということだ。」という説明は、そういうことなんです。
では、プラグ(自我)に繋がっていない人だったら、どうなるでしょうか?
そう。怒りを向けられても、その怒りをサラリと受け流す事が可能となります。
「君が真に目覚めれば…かわすまでもないんだ。」
←どうでしょう?伝わってますかね?
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