いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
黒いもの
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
ここのところ、コメント欄に同じようなご質問が複数よせられておりますので、今日はそれにご返答する形でお話を進めていきたいと思います。
ご質問内容:なんで魂は黒くなったんですか?
書籍版『あの世に聞いた、この世の仕組み』の第3章、「魂の訓練所」がベースになったご質問です。
実はこれ、コメント欄に限らず、トークライブなどでも何度か聞かれているんです。
まず最初にお話しておきたいのは、僕の話は、そのほとんどが「例え話」であるということです。
ですので、その「例え」のレベルに留まって欲しくないと言うのが、僕の正直な気持ちです。
「例え」はあくまで「例え」であって、「そのものズバリ」ではありません。
「そのものズバリ」のことを、言葉で表現することが不可能なので、「致し方なくそう表現した」という方便にすぎません。
ですから、そこにある言葉や単語にとらわれすぎないようにしてください。
以前お話したことのある「月を指す指」と同じで、それらの言葉は「方向を指し示す」だけであり、僕がお話したい根幹はその指し示した方向の「先」にあるものです。
指先にとらわれている限り、それを見ることはできません。
かの有名な「Don't think! Feeeel!」の、あのシーンのセリフと同じです。
僕は確かに、この世の仕組みを話すために、以前「魂の訓練所」と表現したことがあります。
ですが、厳密には訓練所などではありません。
学校でもありませんし、観光でもありません。
ゲーマーでもなければ、プログラマーでもありません。
でも、「そのこと」を理解したときには、僕がこれまでお話した内容を「なるほど、このことをああいった例えで話していたのか」と納得していただけると思っています。
これからも、僕の話は全て方便にならざるを得ません。
まずは、それをご理解ください。
以上を踏まえまして、改めてご質問にお答えしたいと思います。
まず、なぜ黒くなったのかを話す前に、その「黒いもの」が何なのかをお話しますね。
多くの方がお気付きの通り、いわゆる「カルマ」のことを、そういう言い方で表現していました。
つまり、「魂の漂白」は、「カルマの解放」を意味します。
あの比喩の中でお話したかったことは「僕たち人間はカルマの解放をすべく、そのためのツールとして肉体や精神を得た」といったところでしょうか。(このことを説明するのはやはり一筋縄ではいかないので、「今のところの言い方」ということをご承知置きください)
では次に、その「カルマ」とは何なのか。
僕がお話しているそれは、「あらゆる記憶の集積(また、それに伴う行動指針)」のことです。
そこには「ポジティブ」や「ネガティブ」、また、「善悪」等の分別はありません。
いいも悪いもひっくるめた、「ありとあらゆる記憶」のことです。
そしてその記憶は、「今生」だけに限った話ではなく、いわゆる「過去世」などもひっくるめて、脈々と宇宙に引き継がれてきた記憶です。
では、その「記憶の解放」とは、いったい何のことなのか。
そのことを説明しようとする時に、あの「自我」というものが話の中に出てくることになります。
以前からお話しているように、本来僕たちは、一つの同じものです。
その存在形態は、精神世界でよく言われている通り「意識」として存在しています。
分け隔てのない、ひと続きの意識が、僕たちの本来の姿です。
そこにある時「(概念としての)壁」が生まれ、「ひと続きの意識」から分離して存在するように感じられる「個別の意識(自意識)」という状態が生まれました。
その「個別の意識」の意識と「ひと続きの意識」の意識は、質的には全く同等のものです。
質的には同じですが、状態が異なっています。
「質は同じだが、状態が異なる」というこれも説明が難しいのですが、仮にH2Oの状態変化になぞらえて考えてみてください。
ひと続きの意識が「H2O(気体)」として広大に広がっている中に、個別の意識「H2O(固体や液体)」が浮遊しているといった感じです。
H2Oが気体として拡散している状態を肉眼で認識する事はできませんが、液体や固体として存在していれば、肉眼で捉えることができるようになります。
質が同じでも、状態が違えば認識の仕方にも違いが生まれます。
空気と水と氷は、質は同じでも、状態が異なります。
『「個別の意識」の意識と「ひと続きの意識」の意識は、質的には全く同等のもの。質的には同じだが、状態が異なる』とは、そんなニュアンスのことです。
そして、その「個別の意識」が生まれたことで、「ひと続きの意識」とは違った認識の仕方が生まれました。
その認識で生まれた様々な歪みによって、カルマが形成されていきます。
ではなぜ、存在の根源(ひと続きの意識)は、自我(個別の意識)を創り出す必要があったのでしょうか。
これも、言葉で説明できることではありません。
でも、あえてそのことを言葉にするなら、その表現のひとつとして「意識が意識であることをより深く意識するために」と言うことができます。
これは、「神が神であることをより深く自覚するために」や「愛が愛であることをより深く知るために」など、他の色々な言葉に置き換えることもできます。
このことを、また別な例えでお話してみましょう。
もしアナタが、生まれてから一度も体調を崩すことがなく、また、周りの人々も全て健康だったとしたら、アナタは「自分が健康である」ということを実感することがありません。
健康を自覚するためには、「不健康」という、比較するための別な状態が必要となるのです。
自分が幸せであることをより深く実感するには、「幸せじゃない」という比較対象が必要になります。
よく言う『失って知るありがたみ』ってヤツです。
それと同じように、神が神であることをより実感するために「神じゃない」という比較状態が必要になりました。
それが「自我」です。
ですが、先日お話した通り、自我は実在しません。
神が神であることをより実感するために「神じゃないもの」が必要になりましたが、「神=存在のすべて」なので、神とは別に「神じゃないもの」を存在させることができなかったのです。
そこで「神(ひと続きの意識)」は「神じゃないもの」を作るために、「神じゃないもの」そのものではなく、「本当は神なんだけど、便宜上神じゃないものにしておこう」という概念・イメージを形成することにしました。
その概念・イメージが肥大化した結果、「便宜上神じゃないものにしておこう」の「便宜上」が、すっかり忘れ去られてしまったのが、「自我」です。
つまり自我は、神が神であることをより実感するために「必要なもの」として生まれました。
しかし、その「神が神であることをより実感するために」という役割は、もう既にやり遂げているのです。
それなのに、「まだまだ引退などしてたまるか!」と抵抗しているのが自我くん。
と、いったところで次は、「自我(個別意識)とカルマの関係」「記憶の解放」についてお話してみたいと思います。
【トークライブ・インフォメーション】
札幌では2度目のソロライブ。
今回は、『月刊アレ!』にて連載中の、最新ネタを中心にお話いたします。
◎11月23日(水・祝) 札幌ソロライブ
※携帯からお申し込みの方は【こちら】。
平日のお話会「月イチ☆」の、12月開催分です。
(11月分は完売となりました。キャンセルが出た場合は、ツイッター等でお知らせします)
◎12月9日(金) 平日のお話会「月イチ☆」
※携帯からお申し込みの方は【こちら】
←Kick me.(ブルース・リーのモノマネで)
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ここのところ、コメント欄に同じようなご質問が複数よせられておりますので、今日はそれにご返答する形でお話を進めていきたいと思います。
ご質問内容:なんで魂は黒くなったんですか?
書籍版『あの世に聞いた、この世の仕組み』の第3章、「魂の訓練所」がベースになったご質問です。
実はこれ、コメント欄に限らず、トークライブなどでも何度か聞かれているんです。
まず最初にお話しておきたいのは、僕の話は、そのほとんどが「例え話」であるということです。
ですので、その「例え」のレベルに留まって欲しくないと言うのが、僕の正直な気持ちです。
「例え」はあくまで「例え」であって、「そのものズバリ」ではありません。
「そのものズバリ」のことを、言葉で表現することが不可能なので、「致し方なくそう表現した」という方便にすぎません。
ですから、そこにある言葉や単語にとらわれすぎないようにしてください。
以前お話したことのある「月を指す指」と同じで、それらの言葉は「方向を指し示す」だけであり、僕がお話したい根幹はその指し示した方向の「先」にあるものです。
指先にとらわれている限り、それを見ることはできません。
かの有名な「Don't think! Feeeel!」の、あのシーンのセリフと同じです。
僕は確かに、この世の仕組みを話すために、以前「魂の訓練所」と表現したことがあります。
ですが、厳密には訓練所などではありません。
学校でもありませんし、観光でもありません。
ゲーマーでもなければ、プログラマーでもありません。
でも、「そのこと」を理解したときには、僕がこれまでお話した内容を「なるほど、このことをああいった例えで話していたのか」と納得していただけると思っています。
これからも、僕の話は全て方便にならざるを得ません。
まずは、それをご理解ください。
以上を踏まえまして、改めてご質問にお答えしたいと思います。
まず、なぜ黒くなったのかを話す前に、その「黒いもの」が何なのかをお話しますね。
多くの方がお気付きの通り、いわゆる「カルマ」のことを、そういう言い方で表現していました。
つまり、「魂の漂白」は、「カルマの解放」を意味します。
あの比喩の中でお話したかったことは「僕たち人間はカルマの解放をすべく、そのためのツールとして肉体や精神を得た」といったところでしょうか。(このことを説明するのはやはり一筋縄ではいかないので、「今のところの言い方」ということをご承知置きください)
では次に、その「カルマ」とは何なのか。
僕がお話しているそれは、「あらゆる記憶の集積(また、それに伴う行動指針)」のことです。
そこには「ポジティブ」や「ネガティブ」、また、「善悪」等の分別はありません。
いいも悪いもひっくるめた、「ありとあらゆる記憶」のことです。
そしてその記憶は、「今生」だけに限った話ではなく、いわゆる「過去世」などもひっくるめて、脈々と宇宙に引き継がれてきた記憶です。
では、その「記憶の解放」とは、いったい何のことなのか。
そのことを説明しようとする時に、あの「自我」というものが話の中に出てくることになります。
以前からお話しているように、本来僕たちは、一つの同じものです。
その存在形態は、精神世界でよく言われている通り「意識」として存在しています。
分け隔てのない、ひと続きの意識が、僕たちの本来の姿です。
そこにある時「(概念としての)壁」が生まれ、「ひと続きの意識」から分離して存在するように感じられる「個別の意識(自意識)」という状態が生まれました。
その「個別の意識」の意識と「ひと続きの意識」の意識は、質的には全く同等のものです。
質的には同じですが、状態が異なっています。
「質は同じだが、状態が異なる」というこれも説明が難しいのですが、仮にH2Oの状態変化になぞらえて考えてみてください。
ひと続きの意識が「H2O(気体)」として広大に広がっている中に、個別の意識「H2O(固体や液体)」が浮遊しているといった感じです。
H2Oが気体として拡散している状態を肉眼で認識する事はできませんが、液体や固体として存在していれば、肉眼で捉えることができるようになります。
質が同じでも、状態が違えば認識の仕方にも違いが生まれます。
空気と水と氷は、質は同じでも、状態が異なります。
『「個別の意識」の意識と「ひと続きの意識」の意識は、質的には全く同等のもの。質的には同じだが、状態が異なる』とは、そんなニュアンスのことです。
そして、その「個別の意識」が生まれたことで、「ひと続きの意識」とは違った認識の仕方が生まれました。
その認識で生まれた様々な歪みによって、カルマが形成されていきます。
ではなぜ、存在の根源(ひと続きの意識)は、自我(個別の意識)を創り出す必要があったのでしょうか。
これも、言葉で説明できることではありません。
でも、あえてそのことを言葉にするなら、その表現のひとつとして「意識が意識であることをより深く意識するために」と言うことができます。
これは、「神が神であることをより深く自覚するために」や「愛が愛であることをより深く知るために」など、他の色々な言葉に置き換えることもできます。
このことを、また別な例えでお話してみましょう。
もしアナタが、生まれてから一度も体調を崩すことがなく、また、周りの人々も全て健康だったとしたら、アナタは「自分が健康である」ということを実感することがありません。
健康を自覚するためには、「不健康」という、比較するための別な状態が必要となるのです。
自分が幸せであることをより深く実感するには、「幸せじゃない」という比較対象が必要になります。
よく言う『失って知るありがたみ』ってヤツです。
それと同じように、神が神であることをより実感するために「神じゃない」という比較状態が必要になりました。
それが「自我」です。
ですが、先日お話した通り、自我は実在しません。
神が神であることをより実感するために「神じゃないもの」が必要になりましたが、「神=存在のすべて」なので、神とは別に「神じゃないもの」を存在させることができなかったのです。
そこで「神(ひと続きの意識)」は「神じゃないもの」を作るために、「神じゃないもの」そのものではなく、「本当は神なんだけど、便宜上神じゃないものにしておこう」という概念・イメージを形成することにしました。
その概念・イメージが肥大化した結果、「便宜上神じゃないものにしておこう」の「便宜上」が、すっかり忘れ去られてしまったのが、「自我」です。
つまり自我は、神が神であることをより実感するために「必要なもの」として生まれました。
しかし、その「神が神であることをより実感するために」という役割は、もう既にやり遂げているのです。
それなのに、「まだまだ引退などしてたまるか!」と抵抗しているのが自我くん。
と、いったところで次は、「自我(個別意識)とカルマの関係」「記憶の解放」についてお話してみたいと思います。
【トークライブ・インフォメーション】
札幌では2度目のソロライブ。
今回は、『月刊アレ!』にて連載中の、最新ネタを中心にお話いたします。
◎11月23日(水・祝) 札幌ソロライブ
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平日のお話会「月イチ☆」の、12月開催分です。
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コメント ( 56 ) | Trackback ( )
« まぼろし | 小休止 » |
水と氷のたとえも巧みですが、自我の存在意義が
「意識が意識であることをより深く意識するために」
というのも、切れ味鋭い表現ですね。。。
雲 黒斎さんの説明を読んで、
カルマ・自我・意識の進化というもの
に関して、僕もモヤモヤ感の中から
何かが見えてきそうな気がするので、
ちょっと考えをまとめてから自分のブログでも
アウトプットに挑戦してみようと思います。
どうもありがとうございます^-^
目からウロコです!!
かなり混乱して、おかしな方向に向かっていたり
まるで理解していなかった事を説明してくださり
とてもすっきりしました。
ただモヤモヤしているだけでなく
ブログのコメント欄で、しかもこのタイミングで
質問を投げかけて下さった方にも感謝です。
黒斉さん、みなさん、ありがとうございます。
私が、このような、大いなる者(神)が、自分自身を知る為に、分離した意識(自我)を作り出した。
と言う考えに初めて接したのは、ヘミシンクの坂本さんの本でした。
でも、どうして簡単に戻れなくなっちゃったんでしょうね~
命綱でも付けといてくれれば良かったのに~(笑)
2日の天河には、24黄色Tシャツを着て行って来ました
続き楽しみにしてます♪
(と、軽くプレッシャーをギフトしてみる
いてもいつもわかり易く表現されていて、自我くんも大喜びです!
福岡コラボ講演会で初めてお会いし、あまりのジェントルマンっぷりにホレボレしました。
また福岡来て下さいね!
ブログも楽しみにしてます!
いつもありがとうございます。
「神が神であることをより実感するために」という役割は、もう既にやり遂げている
…………………………
あ、だから、もう自我を無くしていいのか。
わざわざ自我をもつこの世界に生まれて来たけど、もう自我をもって体験する役割は無くなった時代になったってことかな。
神様も、けっこー、普通の人?神? 神様って、面白いかも。
もう一瞬で、みんな一緒に白く漂白しちゃえばいいのに。。。って思うのは、やっぱ、自我のせいだな。
「神が神であることをより実感するために」という役割は、もう既にやり遂げているんですか。
それをやってる最中なのかと思ってましたので、終わってると知ってなんかほっとした。
, -つ:::*:.:
/__ノ.....∴::::(; ̄д ̄)・:. < 言葉や単語に
じゃあ遠慮なく / / ∴:::*:.*:_ノ ⌒ヽ*:. とらわれすぎない
,,,,,__ / /― = ̄:::*...../ へ \ ように・・・
(mn)_ ヽ / //・/ ソ/ ノ / / \\\
)_( /- ― = ̄  ̄ レ ノ ヽ_ヽ_つ
m ( ´・ω・)⌒: //・ソ /彡/ / /
)| | _/ / /- ― = ̄ / /|
( _ ̄ ̄ ̄ _/___ /彡ソ/ /// ( ( 、
 ̄ ̄ ̄ / / | |、 \
/ / | / \ ⌒l
( ( | | ) /
| | ノ ) し'
| / (_/
| |
ノ )
(_/
愚痴を言わなくなりました。
第一印象が明るくなり、人が変わったようです。
ありがとうございました。
ちょっと癖になりそうな表現です。
> もう既にやり遂げているのです。
あっ、そうなんですか。ていうことはやっぱり、ほとんどの人がこの世を楽しむために来ているってことですか。アトラクション。修行なんかしていない。
まぼろしである黒いものを漂白するには考えるな、感じろ
ゲームはマリオからオセロへ、でも月を指す指だけで、月を見ない事には黒を白にひっくり返せないよと…オセロで上がるのはプレイヤーであって、駒じゃないぞと…で、オセロは繰り返しプレイ可能なので、暇潰しにもってこいなので遊んでしまうと…φ(..)メモメモ
え、違うって
自我を消滅させて・・・
もともと実在しない自分を知る。
うーん・・時間かかりそう。
黒斎さんは、まるでお釈迦様のようですね、読み手に応じていろいろな方便を駆使しながら、真理を説かれていますものね。同じをお話を聞いてもそれぞれの人がそれぞれの理解をする。仏教のお経も如是我聞でしたっけ、私はこう聞きましたよ、こう理解しましたよってお話ですものね。
これからもよろしくお願いします。
分かりやすくて、すごーく、ためになりました(^O^)
なるほど~~☆
でも、自我くんって、しつこいですよね…~
黒斎さんは、この自我くんは何でこんなにしつこいんだと思いますか?
何で引退したくないんだと思いますか?
その原因を取り除けば、
さっさと引退してくれるのですかね~
もう、いい加減疲れてきました~~^^;
すいません!ブログや本に答えが書かれていると思いますが、
聞きたくなっちゃいました^^;
もしかして、アセンションと呼ばれるものが、その清算なのでしょうか?
ただ、「私」を知りたかった。
やっぱりそれだけなのかな。
自我のおかげで私たちは悩んだり苦しんだり…
もういいかげん解放されたいです
この調子でガンガン書いてください。
なるほど。
明日、みやこめっせでお出会いできるのを楽しみにしています(*^o^*)
今日もやってしまって、立ち直れないわたしです。
色の三原色(青、黄、赤)をまぜると、何色になるか?
↓
黒色。
絵の具を混ぜるとき、ほどほどなら奇麗な色になるのに、色を交ぜすぎるときたなくなる。
雲が、なぜ白い雲と黒い雲があるか?
↓
空すべてを覆うと、黒雲になる。
空の一部分だけなら、雲は白い。
ちなみに、光の三原色(青、緑、赤)を重ねると、白色になる。
ブラウン管のテレビを虫眼鏡で観ると、光の三原色が一単位となって、
それがたくさん集まっていて、三色の混ぜ具合でいろんな色を表現している。
「分かり易い説明」、とのコメントをよく見掛けますが、たしかに分かり易い説明はありがたいですね。
一方で、迷いの状態にある私が、分かり易いと思っているうちは、迷いから離れられない。
酔っている人が、「このくらい大丈夫、大丈夫。車運転して帰れる。」とか、
煙草吸っている人が、「いつでも禁煙できる。」と言っているのと同じ。
迷いは深い。自己肯定したい気持ちは、とてもしつこい。
「分かり易い」とか「こういうことか」ではなく、
「ここが分かってなかった」とか「無自覚だった、無意識だった」が知れるよう聞けるといいですね。
「なんで魂は黒くなったんですか?」という質問に通じますね。
あの最後は涙をさそった…。
雲黒斎さん、頑張って下さい~。
その答えとして、私自身一番しっくりくるのは、
ニール・ドナルド・ウォルシュ著の「神との対話」に出てくる「ちいさな魂と太陽」の話です。
http://kaijyuu.chu.jp/kokoro/60.html
スゴイッ♪O(≧∇≦)o
閻魔ちゃん風に(o^-')b
アレ!の般若心経も、目からウロコでた。
と、黒斎さんの自我をくすぐってみたりして( ̄▽ ̄)
私達を個々に固定し、特定。
ユニークな存在にしてくれている
インナーチャイルド(自我)さん。
私らしさ、貴方らしさを造り出し、
特別な愛する人と巡り遭わせ、個性を造り出すインナーチャイルド(自我)さん…*
それによって…
時には
私達を追い込み、
孤独に追いやる
インナーチャイルド(自我)さん
インナーチャイルド(自我)は
素晴らしい俳優…*
私に、
貴方に、
苦しみと…
喜びと…
対局にある二つの
矛盾によって、
究極の歓喜をもたらす為、
今日も
ヒール(悪役)を
やってくれています*
Amourに愛される私も、
私が愛するAmour* も、
確かに
バーチャルかもしれないけれど
私は、幼稚で、馬鹿な
私が大好き~♪
だって……*
Amourが愛して下さる*
Amourは私を子供扱い
なさるけれど…*
私、Amourが大好き*
愛している*
だって……*
私達、
世界で唯、ひとり。
唯一の存在だから…。
貴方を愛する人も…、
世界で唯、ひとりの
貴方を愛している……*
インナーチャイルド(自我)は
確かに私達に孤独を
もたらし、
カルマを背負っているけれど
貴方を貴方らしく
貴方たらしめてくれてもいる
宇宙には、
神様には、
インナーチャイルド(自我)が
必要だった……*
いっぱい*
いろんな
愛を知る為に
ね…?
だから、
貴方は貴方でいい♪
私は私でいい♪
*総てはうまくいっている*
ねぇ…*
インナーチャイルド(自我)を
抱き締めて愛してあげて…?
そしたら…
カルマは浄められ…
ハートが充たされて行きます
インナーチャイルド(自我)は、淋しくて泣いているだけ。
インナーチャイルド(自我)に
感謝をして
胸いっぱい*に抱き締める時、
カルマは愛によって浄められ、魂は光輝くの…*
Every thing O.K. ♪
こういう軽いノリが好きです(^^)
ところで、質問です。
>「神が神であることをより実感するために」という役割は、もう既にやり遂げているのです。
とありますが、全員の自我がもう役割を終えているのですか?まだ、その途中とかいう人も無しで?
自我は人生を楽しむアイテムです、恋愛したり、会話したり、他人を感じれるツールなのです。
ただ、この宇宙、全ての全ては自分なのだと気付いていれば全てに対して優しくなれるのです。
そんな世界に向かったいるのです。^^
行かない人が立派にみえます。
今回もよい喩えをありがとうございます。
きょう午後から会えるのを楽しみにしています!
たまに?ブログを拝見させて頂いております。
それで、お願いがあります。
私は年のせいか小さな文字を読むのがつらく、ウエブではブラウザで文字を大きめにして見るようにしています。
ただ、貴ブログでは、ブラウザで文字拡大をしても、本文部分の文字の大きさが変わりません。
ですので、できましたら文字を大きくできるようにはして頂けないでしょうか。
この手のことに私は疎いので、もし手間だったり難しかったりするならば今のままでも良いですが・・・。
よろしくお願い致します。
『好き嫌い、Re:好き嫌い』を読みました。
「理由って、先立つものじゃなくて、後付けの言い訳みたいなものじゃないかって、そういう気がするんですが…」
「ちょっと難解になっちゃったけど、早い話が自我の生き残り戦略だよ。
しかも動物レベルのね。
自我はその上に、さらに複雑なカテゴリー分けをして、そのようにして作り出した素材を複雑に組み合わせて、自分本位の世界を作り出す。」
黒犀さんと阿部さんの、この問答から感じた事ですが、
以前にも書きましたが、運命⇒本能(無意識)⇒意志(意識)という順番が、私達の行動(運命)原理だと偏見してます(汗)
最初の運命に当るのが行動起電流で、次の本能とは爬虫類脳としての(戦うか逃げるか、好き嫌い、などの自己保存本能?)で、次の意志とは、それを自分に納得させる言い訳です。
そして、訳のわからない無意識行動から来る不安を、そうやって解消しているのだと思う次第です。
このことから、阿部さんの言われた動物レベルとは、私達の爬虫類脳から来る生存本能のことだと思われます。
爬虫類脳とは三つの層(下層部は呼吸などの付随機能を司る脳幹、中層部は感情等の意味を読み取り区別する辺緑野、上層部は新皮質で顕在意識つまり自我意識のことでしょうか。)から成る脳細胞の最も古い下層部にあります。
つまり、自我という思考(上層部)を超え、感情(中層部)をも超える事によって、好き嫌いなる本能(下層部)に行き着きます。
そこは、幻想世界(自我世界・主観世界)を創り出す元になる所で、ここにある好き嫌い感覚を意識出来れば、
それはすなわち、運命をカットして自らの創造の世界に生きる事に成るのでしょうか(汗)
目覚めるとは、まさにその事だと思われる次第です(爆汗)
また、好き嫌いから来る興味のあるものしか、私達には意識出来ないのだと思われます。
過去からの記憶、そして生まれ出た時からの周りから植えつけられた記憶、それによってありのままが観れなく成っているのだとすれば、黒犀が提唱する「記憶の開放」こそ、本能なる好き嫌いを意識してその自縛から開放し、これこそが創造に生きる事だと、勝手にその様に思っている訳です(滝汗)
いつも訳解らんことを、ダラダラすいまっせんデス。
<ソフトパンク>
自我(思考や感情)は、私達の生存を助ける意味に於いて、感謝の意を示すべきなのかも。
そして感謝の気持ちを抱く事により、ビバッサナー観想(ラベルは無視!?)はくつろぎに変わるのだ感じています。
「瞑想とは心を止める事ではなく、心をその自然な状態の中に休める事であり、その様な自然な状態にあれば、思考も、感情も、感覚も、あるがままに気づく事が出来る。」
ある本にはこの様に記されている訳ですが・・・・・
どーでっしゃろ(爆汗)
<ソフトパンク>
愛をこめてキックさせていただきました(笑)
彼の言葉は悟りに通じるものが非常に多くて大好きです。
Feelの他には、
“It's not the daily increase but daily decrease.”
日々増やすんじゃない。日々捨てるんだ。
Enlightenment(悟り)って字面的に言えば捨てて、Light 軽くなる事ですもんね。
また、“Be water.”で知られるドラマ『ロングストリート』での
http://www.youtube.com/watch?v=N8iivdFhF30
“I cannot teach you. Only help you to explore yourself. Nothing more.”
私は貴方に教えることはできない。
貴方が貴方自身を探求する為の手助けになる以上のことはできないんだよ。
などは特に感慨深いですね。
黒斎さんもこの台詞と似た気持ちを感じておられるのではないでしょうか。
私達はパズルのピースじゃないのか
パズルを組み立ててる創作者なのか
全景を組み立ててる側なのか
やっと気付いた。嬉しい
呼び捨てゴメンさい
<ソフトパンク>
いつもブログを拝見しお勉強させていただいていましたが、直接お話しを聞いて、点が線にそして面になり、あ~そういう事だったんか~ってアハ体験でした!精神世界に一度入り込んだらやたらややこしくって思考が思考を呼んでグニャグニャになって凍り付いて訳分からん状態が、昨日スッキリしました。なんと分かりやすく優しく驕り無く愛で活動していらっしゃるんだと良く分かりました。有難う!!
ちょうど私もヨガのインストラクターをしています。そのヨガで皆さんにプチ瞑想状態を提供出来るようにして行きたいって嬉しくなりました。京都を満喫して気をつけてお帰り下さいね
又お会いできる日を楽しみにしています!!
早く目覚めたくて必死に瞑想しようと思っていましたが、これからは力抜いてボケーッとして幸せを感じることにします。
5月の大阪、11月の京都と私なりに成長できたと思っています・・・ってこれが自我ですよね(汗)
また関西での講演を楽しみにしています♪
今、読みましたぁ(謝謝)
安達祐実が相沢すずを無意識に演じている。
しかし、それに彼女が気づくかどうか!?
それが問題となるのでしょうか。
つまり、気付く時が目覚めの時なら、
目覚めなければ気付けない。
でも、彼女は目覚めてはいない。
よって、ふつう気づく事はないのでは!?(汗)
瞑想(観想?)にも色々有りますが、
有効だと思えるのは、相沢すずと同一化せずに相沢すずを演じ切ることだと思うのですが。
つまり、相沢すずに気づく事が出来ないなら、相沢すずを仮自覚して演じること。
自分は今、仮初に相沢すずをやっているのだという自覚のもとに、日常を演技して行く事。
もちろんここには、自分が安達祐実だという目覚めはありませんが、
演技者としての自覚をもって、全世界を舞台に相沢すずを演技していくなら・・・・・
つまり、それが〝相沢すずビバッサナー観想(汗)〟であるなら、カルマ(自我)という垢にまみれるのは常に相沢すずと同一化した演技者であり、行為そのもの(演技つまりビバッサナー観想)は〝あるがまま〟であるため、垢に染まることは無いのでは!?。
例えば、夢の中に居ても夢だとは思わないので、夢でグリズリー(汗)に出会えば怖いです。
でも、それを前もって夢の中だと仮定してしまうなら、グリズリーは舞台の中の作られしものとして、自我はやがてその様に思い込んでしまい、恐怖も起きないのではないでしょうか!?
なぜなら、安達祐実は自我の思い込みによって相沢すずを名乗っている訳なら、その思い込み(自分は相沢すずだ)は同じく自我の思い込み(自分は相沢すずを演じているのだ)によって外れるのではないでしょうか!?
どうでっしゃろー(爆笑)
え!?・・・・・詰めが甘い??
<ソフトパンク>
楽しみにしていたトークライブが終ってしまいました。
初にお会いする黒斎さん…ドキドキ
生黒斎さんは、そこはかとなく微笑ましく、やっぱり微笑ましく…。
話される声やスピードが心地よく(友達は心地良過ぎて、コックリ、コックリとソースと繋ってましたが)聞きやすい、何よりわかりやすいのです、この世のしくみ。
また絶対、絶対、京都に来て下さい。
『みやこめっせはどこですか?』とは絶対聞きませんので。
(^O^)
次回またお会い出来るまで、降参の日々を送りたいと思います。
ここ数日でまたマトリックスを一作目から
見直してるところです!
違う目線で見るとまたまだ別の発見がたくさんありそうです。
ブログ初めたんでURL載せておきまっす!
あ・・・あと勝手ながらここのブログの名前を自分のブログに載せてしまいました。
(だから僕のも宣伝してよって意味じゃないので^-^;
本当は個人的にメールを送りたかったのですが
やり方がわからずコメントに載せています。
いま思ったけど 雲さんか・・僕も雲は思いっきり関わってる。まぁいいか。
ということでこれからも頑張ってください!
お手本にさせていただきます!
それではまた!!
なんだか日常生活に埋没してしまいがちですが、考えるな感じろっですね。
くだらないものにしがみついている自我で~す。
思いがけない雲さんの誕生秘話まであってジーンです。とっても勉強になりましたし、死にたがりの私が、逆に自殺してはいけないって気になりました(^_^;)
地獄での暮らしがイヤなんじゃなくて、生きることの、わたしという存在の深さに感動したって言うか……
ともかくありがとうございました。
鬱の時は、もうこの世が早く終わってほしいと思ってたけど、
今は、自分の人生を自分の手に取り戻して、まだまだ楽しまなきゃ!と思うようになったので、
はい、これでおしまいよ~と言われると、なんか「えぇ~っ」という感じ。。。
10月から新しく始めた肉体労働のため、思考能力も無く、くたくたになって「自分」という感覚が薄くなっている感じがします。
ブログを読む時も眠気に負けてます。(これも自我の抵抗か?)
や、自我の話は世間に当てはめて眺めると黒斎さんの解説は、勉強になります。
黒斎さんが迫害されてたら、自我の抵抗のせいなんだなぁ…負けるな黒斎っ!!q(>_<、)qと応援してますから!
黒斎さんの話はほんまにわかりやすい!
わかりやすすぎて、自分がわかったような勘違いをついしまうのがつらい!
日々少しづつ、パイプのつまりを掃除します。
あと偶然ですが、京都駅のそば屋さんで、そばくーてたら、黒斎さんが入ってきたので、びびりました!
握手してもらおかとおもたんですが、やめました。
大阪か京都での講演会ぜひまたおねがいします。
これからもがんばってください!
「神が神であることをより実感するために」という役割は、もう既にやり遂げているのですか?
人間の醜い部分ばかり目立つ昨今ですが、こんなレベルでいいのですか?
本当に苦しんでいる人間は、パソコンでこちらにアクセスできないのではないか。
届くべき人にこの話は届かないのではないか。
自分は精神世界に逃げ込んでいるのではないか。
宗教の代替的なものにすがっているだけではないか。
結局は贅沢病なのではないか。
疑いが取れません。
何回も読んでいるのですが誰かに説明しようと思っても
上手くできないので自我が一生懸命抵抗してるのでしょうか
きちんと消化できていない自分を感じます。
意識の中に状態の違う意識が個別なものだという認識でいる。
というのは、お腹の中にいる赤ちゃんと似ていますか?
大いなる私(意識・神)が感じている感覚は
赤ちゃんがお腹の中にいる時の母親の感覚と似てるのかなって思いました。
でも成長した赤ちゃんは母親の中から外へ出て
この世的に新しい命として生まれるので
ちょっと違いますよね…
何も結びつかないですよね…
また混乱したままコメントしちゃいましたっ
すみません…
でも今日は幻想の世界なんだから苦しんでるの馬鹿らしい
夢の中なんだから、もっと自由にいろいろできるはず
左足が痒かったら右手でかく事ができるんだから
LOTO6買ったら欲しい金額があたるはず
って思えてきました(笑)
変な方向にいってるかも知れませんが
今日LOTO6買ってきます♪
支離滅裂なコメントですみませんでした。
神が神である事を認識するために自我ができたのなら、神が自我を作った?
そして、自我を作った事を今後悔しているのでしょうか。
今になって、自我を捨てろ、本当は全て一つなんだよとアピールしているのですか?