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※初めての方はこちら「プロローグ」「このblogの趣旨」からお読みください。

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あなたの記憶にある中で、一番大きな「木」を思い出してみてください。

なんでしたら、架空の木をイメージしていただいてもかまいません。

イメージ出来ましたか?


さて、ここで。


あなたが思い浮かべたその木は、どこからどこまでが「木」なのでしょうか。





あなたの何倍もの大きさで雄大にそびえ立つ、その大きな木も、時を、ず~っとず~っと遡ると、たった一粒の小さな「種」だったはずです。

トトロのまじないの如く、ある晩突然「にょきにょき~っ!」と勢いよく生えてきた、なんてことは考えられません。


種を土に植え、水と暖かな日差しを与える事で、やがて「芽」を出します。

その「芽」が育ち、「苗」となり、「苗」はさらにスクスクと育ち、「木」となりました。


この当たり前な出来事も、よくよく考えると、とても不思議な現象です。


だって、その種を割り、中を覗いてみても、そこには「幹」も「枝」も「葉」も無いのですから。

元々無かったモノが、今「ある」。

不思議だ。


「幹」も「枝」も「葉」も持っていなかった、小さな「種」が、なぜか、大きな大きな「巨木」となりました。


この「巨木」が「巨木」になるためには、「種だけ」では、だめなのです。

そこに、「土」や「その土を豊かにする生物」、「水」「空気」「日光」などの、「種」以外の要素があったからこそ、「種」は「木」となることができたのです。


「種」+「土」+「生物」+「水」+「空気」+「日光」+「etc.」=「木」





と、言うことは、「木」は、どこからどこまでが「木」なのでしょうか?




地下鉄の出口から会社へと歩みを進める途中、紅葉したその葉を、ひらりと空にそよがせる一本の木をゆったり仰ぎ、「この木から離れゆく1枚の葉は、『木』なのだろか『落ち葉』なのだろうか…。僕は、どこからどこまでが僕なのだろうか。」なんて事を、哲学者気取りで考えながら歩いているから、、、




滑って足を挫くんだ、このやろう。(どこにもぶつけられない微妙な感情)




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