ここしばらくの間、山城を巡ってきました。
地元で観光資源の発掘をしょうという気運が出てきているようです。
観光協会のお役目をいただいている夫にくっついて、地元の山城を訪れたのが最初です。
私はこの地元で生まれた訳ではありません、と言ってもすぐ近くですが。
ですから、いままでスルーしてきました。
当然我が家の食卓で話が出たことがあったにしても、えー、当然あったでしょう。
全然ピンときていませんでした。
この山城の主が我が家のご先祖様につながっていることに。
最初に案内をしてくださった方の説明を聞いていて、あらためてびっくり。
何も知らないことに。
本棚から取り出したのは、郷土の歴史を研究された方々が書かれた本でした。
その本をボチボチと読み進めながら、新聞で募っていた禰津と松代の山城も尋ねました。
夫はまた私と違った視点でツアーに参加したと思っています。2つの地域の主催者に興味があったと思うのです。
どちらも地元の皆さんが会を作られて地域おこしをなされていました。
いろんなお祭りや行事もお役所主導だと、どこかで消えていってしまいます。
地元の皆さんが我らが地域をという気持ちが必要なのではと、この齢になると余計にそう思います。
山城が作られたのは戦国時代です。
先日の月蝕が前回見られた時代、1590年を挟んだ当たりだと思います。
普段は平な居城で戦いになると、山城に籠ったのでしよう。
山城には簡単な小屋程度の物しかなかったのでしょう、当然建物の建っていた気配はありません。
地元の平尾山には基礎石にしたのかなと思えないことは無い石の並びはありましたが。
まあー、とにかく山城は急峻です。
歴史書を読んで、「武田信玄」や「真田太平記」と同様のドラマがあったのですね。
世界のはての歴史は勉強しても、裏山の歴史にはうとかった私(笑)
読んでいると、成程ということが幾つも出てきます。日々目にしている謎が解明されるからです。
まだまだ全部読み終えていません。
興味のあることがどんどん増えて、頭も忙しいこの頃です。
お読みいただきありがとうございました。
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