JR清水駅を降りると、目の前に「大和屋」の文字が目に入る。「清水に来たな~」と見慣れた建物にほっとする。ロータリーの端っ子に放射状に広がる街灯の下に、昔からあったのに、誰も見に行けない所に記念塔が立っている。
「東照宮」と言う文字は、遠くからでも見えるけど、一体これは何者だろうか。
塔の先端に何かが絡み付いていて、その下の浮き輪の様な物に「東照宮」と三文字が付いている。そして、縦のパイプに「三百年祭記念」と刻まれている。
葵の紋の下に、小間犬の顔の様な物が見えるけど、よく分からない。
石の台座には「久能山 東照宮 従是弐里三拾町」と刻まれている。
二里三拾町をキロメートルに換算して見る。
3.9273×2+109.09×30÷1000=11.1273km
台座下のプレートを転記する。
記念碑の由来
大正四年五月十五日久能山東照宮に
おいて徳川家康公の三百年祭が行われ
るにあたり安倍郡東部五ケ町村および
庵原郡士族同胞会は清水市江尻踏切
脇にこの「久能山東照宮案内里程標塔」
を総工費金五百十五円で建設した(以下略)
さて、ここで、この塔があった「江尻の踏切」を探してみる。
江尻駅があった付近(清水橋のカーブの辺り)に、現在の呼び名で「真砂踏切」があり、清水橋の西側に「波止場踏切」がある。
多分駅前に設置しただろうから、真砂踏切と推察するが、町名から行くと波止場踏切かも知れない。(どっちらを取っても距離にして数百メートルの差ではある)
そこから、久能山東照宮まで旧東海道を行き、旧久能街道を通るルートを地図上で計測してみると、約9.7キロメートルしかない。意外に短い。
もっと、遠回りを案内していた事になる。
そこで、旧東海道を平川地(現ジャスコ付近)まで進み、そこから久能観音道を通ったと考え、地図上で計測してみると、約11.9キロメートル。大分近くなった。
当時は、この道と考えられる。
100年前の物が、しっかり残っている事は、少し誇らしく思うと同時に、清水駅西再開発で、どこかに消えそうで、気掛かりになって来た。(笑)
「東照宮」と言う文字は、遠くからでも見えるけど、一体これは何者だろうか。
塔の先端に何かが絡み付いていて、その下の浮き輪の様な物に「東照宮」と三文字が付いている。そして、縦のパイプに「三百年祭記念」と刻まれている。
葵の紋の下に、小間犬の顔の様な物が見えるけど、よく分からない。
石の台座には「久能山 東照宮 従是弐里三拾町」と刻まれている。
二里三拾町をキロメートルに換算して見る。
3.9273×2+109.09×30÷1000=11.1273km
台座下のプレートを転記する。
記念碑の由来
大正四年五月十五日久能山東照宮に
おいて徳川家康公の三百年祭が行われ
るにあたり安倍郡東部五ケ町村および
庵原郡士族同胞会は清水市江尻踏切
脇にこの「久能山東照宮案内里程標塔」
を総工費金五百十五円で建設した(以下略)
さて、ここで、この塔があった「江尻の踏切」を探してみる。
江尻駅があった付近(清水橋のカーブの辺り)に、現在の呼び名で「真砂踏切」があり、清水橋の西側に「波止場踏切」がある。
多分駅前に設置しただろうから、真砂踏切と推察するが、町名から行くと波止場踏切かも知れない。(どっちらを取っても距離にして数百メートルの差ではある)
そこから、久能山東照宮まで旧東海道を行き、旧久能街道を通るルートを地図上で計測してみると、約9.7キロメートルしかない。意外に短い。
もっと、遠回りを案内していた事になる。
そこで、旧東海道を平川地(現ジャスコ付近)まで進み、そこから久能観音道を通ったと考え、地図上で計測してみると、約11.9キロメートル。大分近くなった。
当時は、この道と考えられる。
100年前の物が、しっかり残っている事は、少し誇らしく思うと同時に、清水駅西再開発で、どこかに消えそうで、気掛かりになって来た。(笑)