「意志と表象としての世界」

2010-04-14 19:09:38 | 

を読む。アルトゥール・ショーペンハウアー著。中公クラシックス。ニーチェやユングがこの本からの引用をしばしば行っているので、挑戦してみたにょ。

 この場合の「意志」とは、「世界の本質」のこと。いや、「神」、といってもいいかもしれない。この世界は、ただひとつの「意志」が生み出した現象に過ぎない。人間もその一部であり、その一生は、「意志」によって支配されている。すなわち、欠乏、その充足、新たな欠乏、その充足・・・という繰り返しだ。人生は、ザルで水をすくうようなむなしい努力の連続であり、苦悩で満たされている。
 このような人生から解脱するには、あらゆる意欲を捨てて、ひたすらこのような世界の真の姿を認識するしかない。「意志」を、表象の中に封じ込めてしまうのだ。その結果としてたとえば餓死してしまっても、仕方ない。

 ショーペンハウアーは、解脱の実例として、インドの祭礼で巨大な山車の車輪の下に身を投げて死んだ人たちを挙げているが、そこまで行くと逆に強大な「意志」を感じてしまう。解脱するのも、「意志」の導きではないだろうか? どこまで行っても、「意志」。認識が「意志」を克服することなど、ありえないのではないか。

 結論部分には疑問を感じるが、この本は、おもしろい。さまざまなテーマを論じている。笑いについて。泣くことについて。特に、芸術論がいい。ショーペンハウアーによると、芸術は直観がすべてだという。直接に美をとらえなければ、芸術作品をものにすることはできない。概念(理論)は、直観を補助するに過ぎない。「美学の研究によって芸術家になったものはいまだ一人もいない」。「概念は直観的なものの微細な変化形態をとらえるにはつねに至らない」。「歌い手や優れた楽師が反省に導かれて演奏しようとするといつでも死んだ演奏になる」。「つねに芸術にとって概念は不毛である」。

 ショーペンハウアーは、芸術の中でも特に音楽を高く評価している。音楽は、「意志」が直接現れたものなのだという。

 芸術に限らず、どんな場合でも概念を通して考え、行動する人がいる。だが、概念というものは現実の微妙なニュアンスとずれているから、そのような人は結局何の役にも立たない。物事を抽象的には知っているが、具体的には知らないのだ。「抽象というのは細かな諸規定を取り除いて考えることにおいて成り立つ。ところが実際問題ではこの細かな諸規定こそきわめて大切なものである」。・・・・・社会学が専門で、いろんなところで的外れなコメントを繰り返す某氏に聞かせたい言葉だ。

 道徳も芸術と同じで、直観的に自分でとらえるしかないものだという。「欲するということは教えようがない」(セネカ)。

 その他、忘れがたい言葉が、いくつもある。「正義という言葉に積極的な意味はない。不正でないものはすべて正義である」。「自由は現象の彼岸にあり、いわんや人間的な制度の彼岸にある」。詳しい意味はぜひ本を読んで、確かめてほしい。

 「プロテスタント的だが、実はユダヤ的」、という言葉も忘れがたい。ショーペンハウアーは詳しくは論じていないが、つまり、どちらも現世利益の追求(「意志」の実現)を積極的に肯定している、ということか。この両者の親和性については、「魔女とキリスト教」(上山安敏)でも触れられている。アメリカとイスラエルの同盟関係の起源は、やはり・・・・・。

 解脱という考え方は、キリスト教の本来の教えの中に含まれている。だが、キリスト教は「平板なもの」になりつつある、とショーペンハウアーは嘆いている。「平板な」、という表現。ルドルフ・オットーの「聖なるもの」の先駆けか。

 「死は生の中に含まれている」、とも書いている。これは、寺山修司が引用したロルカの言葉だとワシは思っていたが、オリジナルはショーペンハウアーなのだろうか? それとも・・・・・。

 この中公クラシックス版は、序文を一番最後に持ってきているが、賢明なやり方だ。「この本を理解するには、カント、プラトン、インド哲学を学んでいる必要がある」、などと著者は序文の中で読者を脅しているが、それを真に受けることはない。なにしろ読み出すと、やめられなくなる。話題が豊富だし、読者に直接語りかけるような文体なのだ。
 
 訳も、こなれている。決してすらすらと読めるような本ではないが、訳がネックになっているという感じはしない。だれの訳だろうと思ったら、西尾幹二先生だったのにゃ。さすがにゃ。

 ここまでほめたたえると、「この人は、ショーペンハウアーの『読書について』を読んでいないな。『読書をすることは、自分の代わりに他人にものを考えてもらうことだ』、と書いてあるぞ」、と、あなたは思うかもしれない。ワシは、ショーペンハウアーのその言葉を克服したい。だからこそ、この本を座右の書としよう。

 ニーチェが最近ビジネスマンの間でブームだというが、ショーペンハウアーがブームになることはないだろう。なにしろ「意志の廃絶=解脱」を説いているのだから。ただただ数字を追いかけるだけの企業文化とは、決して相容れないものなのにゃ。

 ・・・・・いや。待てよ。「草食系」という言葉が流行り、若者が高価な買い物をしなくなった現代においてこそ、「解脱」は注目すべきキーワードなのかもしれない。この本も、また。
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