ヨハネによる福音書6,51。 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
英文は I am the living bread that came down from heaven. If you eat this bread, you will live forever.
もしかして・・・。アンパンマンのオリジナル?
ヨハネによる福音書6,51。 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
英文は I am the living bread that came down from heaven. If you eat this bread, you will live forever.
もしかして・・・。アンパンマンのオリジナル?
ヨハネによる福音書3,4。 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
英文は "How can a grown man be born again?" Nicodemus asked. "He certainly cannot enter his mother's womb and be born a second time!"
ファリサイ派の人物が、「人は、新たに生まれなければ神の国を見ることはできない」というイエスの言葉を攻撃して、こう言った。
これは、寺山修司の作品(「身毒丸」とか)にしばしば出てくる、「お母さん、もう一度ぼくを妊娠してください」というせりふのオリジナルではないだろうか。もっともこのせりふは、もともとは寺山と同時代のある詩人のものだと、寺山自身がどこかで書いていたが。
ヨハネによる福音書2,22。 イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。
英文は So when he was raised from death, his disciples remembered that he had said this, and they believed the scripture and what Jesus had said.
最初の方で、もう「イエスの死と復活」が出てくるのにゃ。この作品が、他の福音書よりも後に書かれたことの証拠になるのにゃ。
ルカによる福音書16、16~17。 律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。しかし、律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせる方が易しい。
英文は The Law of Moses and the writings of the prophets were in effect up to the time of John the Baptist; since then the Good News about the Kingdom of God is being told, and everyone forces their way in. But it is easier for heaven and earth to disappear than for the smallest detail of the Law to be done away with.
日和ってるなあ。イエスは、旧約聖書からの引用を繰り返し行っている。聖書の終わりに、一覧表があるくらいにゃ。旧約を完全に否定するのはまずい。そうではなく、旧約の権威を利用して、自分の教えを広めていく。引用箇所をひとつひとつ見ていくと、旧約の名を借りて、実は自分のオリジナルの教えを述べていることがわかるのにゃ。
ルカによる福音書16,9。 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。
英文は And Jesus went on to say, "And so I tell you: make friends for yourselves with worldly wealth, so that when it gives out, you will be welcomed in the eternal home.
日本語版の「不正にまみれた」という表現にはビックリしてしまうが、英語版の worldly は「現世の」という意味。現世の富に忠実なら、天の富にも忠実だろう、とイエスは言うのだが・・・。
すぐ後で、イエスは「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」と言っている(16,13)。矛盾しているのにゃ。現実と理想の間で迷っているのか、それとも、文章の欠落があるのか。
ルカによる福音書15,31~32。 すると、父親は言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」
英文は 'My son,' the father answered, 'you are always here with me, and everything I have is yours. But we had to celebrate and be happy, because your brother was dead, but now he is alive; he was lost, but now he has been found.'
放蕩息子のたとえ。まじめに働いてきた兄が、財産を使い果たして帰ってきた弟を優しく迎える父親に、文句を言う。それに対して父親がこう返した。
「日常原則の否定」という宗教の本質が、ここにも表れているのにゃ。 ふだん働いているかどうかなど、神は気にしないのにゃ。
ルカによる福音書7,47。 だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。
英文は I tell you, then, the great love she has shown proves that her many sins have been forgiven. But whoever has been forgiven little shows only a little love.
イエスが罪深い女を赦すエピソード。悪人正機説は、キリスト教にもあるのにゃ。
ルカによる福音書4,29~30。 総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
英文は They rose up, dragged Jesus out of town, and took him to the top of the hill on which their town was built. They meant to throw him over the cliff, but he walked through the middle of the crowd and went his way.
シナゴーグに集まった人々とトラブルになったイエス。どんな術を使ったのだろうか。ナゾなのにゃ。
ルカによる福音書3,13。 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。
英文は "Don't collect more than is legal," he told them.
洗礼者ヨハネが徴税人に言った言葉。兵士には、「金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな」と言っている。
当時の徴税人や兵士たちの実態がわかる記述なのにゃ。
マタイによる福音書27,5。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
英文は Judas threw the coins down in the Temple and left; then he went off and hanged himself.
キリスト教は自殺を禁じているが、それは聖書のこの箇所に由来するのかもしれない。キリスト教徒の義務はキリストのまねをすることだが、自殺はキリストを裏切ったユダをまねることになってしまうのだから。
フレイザーのいう「類似の法則」が、ここでも生きている。「類似のものは、同一のものである」、つまり「キリスト(ユダ)をまねれば、キリスト(ユダ)になれる」。根底にあるのは、呪術的な観念なのではないか。
もしもユダヤ人の群衆に囲まれたキリストが自殺を選択していたら、キリスト教が自殺を禁じることもなかったのにゃ。
マタイによる福音書25,30。 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
英文は As for this useless servant-throw him outside in the darkness; there he will cry and gnash his teeth.
天の国のたとえ話。主人が僕に1タラントン預けたが、何もせずに1タラントンのまま 主人に返したので罰した、という。
これのどこが天の国のたとえなのか、さっぱりわからない。「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(19,24)とイエスは前に言ったが、この銭ゲバぶりは、どう考えたらいいのか。
やはり聖書の作者は複数いて、自分につごうのいいように聖書をいじっているのにゃ。
マタイによる福音書24,43~44。 家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。
英文は If the owner of a house knew the time when the thief would come, you can be sure that he would stay awake and not let the thief break into the house. So then, you also must always be ready, because the Son of Man will come at an hour when you are not expecting him.
自分自身を泥棒にたとえているのにゃ。どちらも日常原則から外れた存在だから、か。
マタイによる福音書21,31。 はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。
英文は I tell you : the tax collectors and the prostitutes are going into the Kingdom of God ahead of you.
イエスがユダヤ教の祭司長に言った言葉。悪人正機説なのにゃ。日頃の行いではなく、信仰が大切。「日常原則の否定」という宗教の原則が、ここでも生きているのにゃ。
マタイによる福音書21,9。 ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。
英文は Praise to David's Son! God bless him who comes in the name of the Lord! Praise be to God!
日本語版の「ホサナ」は、英語版によれば「讃美」という意味らしい。「ダビデの子を讃えよ」とでも訳すべきか。もうちょっとがんばって、日本語にすべきだったにゃう。
マタイによる福音書19,24。 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。
英文は I repeat : it is much harder for a rich person to enter the Kingdom of God than for a camel to go through the eye of a needle.
これも有名な、イエス・キリストの言葉だ。ていうか、キリスト教の枠を超えて、あらゆる宗教の本質を表現しているように思える。すなわち、「日常原則の否定」。
マックス・ヴェーバーによれば、昔の資本家は、キリストのこの言葉をすり抜けるために、「最初から富の蓄積を目指すのではなく、労働の結果として富が蓄積するのなら許される」という理屈を発見したそうにゃ (「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)。