富谷教会ホームページ・礼拝説教

富谷教会は宗教法人の教会です。教会は礼拝室と二つの茶室からなる和風の教会です。ゴルフ場に接する自然豊かな環境にあります。

「貧しい者をいたわる」フィレモンへの手紙1節~25節

2023-10-06 16:31:03 | キリスト教

    ↑ フィレモンへの手紙を書く、使徒パウロとテモテ

〒981-3302宮城県富谷市三ノ関坂ノ下120番地12 TEL:022-358-1380 FAX:022-358-1403

日本福音教団 富 谷 教 会    週  報

聖霊降臨節第20主日 2023年10月8日(日)  午後5時~5時50分                 

                 司会 邉見 順子姉

前 奏              奏楽 辺見トモ子姉

讃美歌(21)   4(世にあるかぎりの)

交読詩編        82(神は神聖な会議の中に立ち)

主の祈り   93-5、A

使徒信条   93-4、A

司会者の祈り

聖 書(新共同訳) フィレモンへの手紙1節~25節(新.422)

説  教    「貧しい者をいたわる」 辺見宗邦牧師

祈 祷                                        

讃美歌(21) 510(主よ、終わりまで)

献 金  

感謝祈祷              

頌 栄(21)  27(父、子、聖霊の)

祝 祷             

後 奏

〇オン・ラインで礼拝に参加できます。 090-3365-3019に

 連絡下さい。

       次週礼拝 10月15日(日)  午後5時~5時50分

       聖 書  フィリピの信徒への手紙1章1~11

       説教題  「審きの日」

       讃美歌(21) 56 72 483 27 交読詩編 9     

 本日の聖書  

 1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、2 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 4 わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。5 というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。
 8 それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、9 むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。10 監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。12 わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。

 13 本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、14 あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。15 恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。16 その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。

 17 だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。18 彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。19 わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。20 そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。

 21 あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。22 ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。

 23 キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。24 わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。25 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。

 本日の説教

 この手紙は、パウロがフィレモンという個人に宛てて書いたものです。パウロの書いた手紙の中で、わずか25節からなる最も短い手紙です。フィレモンに宛てて書いた手紙ですが、フィレモンの家にある教会の人たちにも公開される手紙になっています。この手紙は、奴隷制度という歴史的な環境の中で、キリスト者がどのように「愛」(アガぺー)を実践していくべきかということを、教会にもかかわる問題として記しています。

 三世紀 までは「教会堂」は無かったと言われ、集会には家の教会や、ユダヤ教の会堂が用いられました。

 手紙の本文が明らかにしているように、パウロは獄中にいます。監禁の場としては、ローマ、カイサリア、エフェソなどが考えられますが、そのうちで、可能性が高いのは、エフェソです。それはパウロのいる所と、フィレモンのいる所との距離が、それほど遠くないと思われるからです。フィレモンの家の教会はおそらくコロサイか、その近くの地域と思われています。「コロサイの信徒への手紙」にフィレモンの家の教会のアルキポの名前がしるされているからです。(コロサイ書4:17)。

 コロサイ人への手紙4:7~9によると、パウロはコロサイ人への手紙と一緒に、フィレモンへの手紙を、ティキコに届けさせ、オネシモを一緒に行かせたことが分かります。

 奴隷であったオネシモは、フィレモンのもとから逃亡し、何かの導きで獄中の使徒パウロに会い、教えを聞いて、入信し、キリスト者となり、パウロの身のまわりの世話をするようになりました。

 当時の社会は、奴隷制度を容認していたので、見つかった逃亡奴隷を主人のもとに送還することが義務づけられていました。パウロはオネシモを身近に置き続けることはできませんでした。そこでパウロは、オネシモを彼の主人のフィレモンのところに帰るように説得したのです(コロサイ4:9)。しかしパウロは、彼を主人フィレモンのもとに送り返すことに不安がありました。フィレモンがはたして福音の教えである「愛」の行動をオネシモにするか否かが疑問でした。そこで、オネシモの送還に当たって、パウロはフィレモンに書き送ったこの手紙は、オネシモを歓迎するよう主人を説得し、オネシモを<愛する兄弟>として迎えて、愛を実践するように訴えたのです。執筆年代は、紀元53~55年頃と思われます。

 1節には、手紙の受取人として、フィレモンの他に、<姉妹アフィア>と<戦友アルキポ>の名が記されていま。<アフィア>はフィレモンの妻であり、<アルキポ>は彼の息子ではないかとも思われています。フィレモンの家は、信徒が集まる家の教会でした。

 挨拶のあと、パウロは、キリスト者としてのフィレモンを称賛し、自分とオネシモとの関係、さらには自分とフィレモンとの関係に言及し、まず受け入れ態勢をととのえさせるよう言葉を尽くしてから、8節以下の本題に入り、オネシモの受け入れを主人フィレモンに願うのです。

 パウロは、福音のためにオネシモを信徒にすることに成功しました。そしてパウロは、オネシモの主人であるフィレモンに対して、この若きキリスト教徒の弁護をするのです。パウロの目的は、かつての逃亡者であり、そして今や帰る者となっているオネシモが、フィレモンと彼の教会で赦しを得、さらにキリストにある兄弟として認められるようにすることでした。そのことのために、パウロはまずオネシモに関する彼自身の願い、自分のところに引き止め置いて、仕えてもらいたいという希望を撤回し、さらにフィレモンが、その男の逃亡と盗み(?)によって被った経済的な損失を、補うつもりであると言っています。そのかわりにパウロは、フィレモンと彼のまわりに集まっている家の教会の者たちに対して、苦痛に満ち失望をもたらした過去の経験にとどまることなく、オネシモに起こった変化を認め、主にある兄弟として迎え、キリストの愛に生きる者として、新しい関係で出発をして欲しいと、彼らに期待するのです。このことは実際には、フィレモンと彼の家の教会の者たちが、少なくともオネシモと今後信仰と希望と喜びを分かち合うように、さらに彼を主の晩餐を守っている者の群れの中に同等の権利を持った者として受け入れ、同時に彼を自分たちの同労者として新たに尊敬するようにと、パウロによって要請されていることを意味しています。

 パウロは同時に、オネシモがパウロ自身の伝道活動において奉仕するために開放されることが大いに望ましいということをも示唆しています。しかしパウロは、フィレモンがオネシモを現実に開放するか、それとも彼を引き続き彼の家で労働者として働かせるか否かについては、フィレモンの自由な決断にまかせています。そしてパウロはそのどちらをも尊重することにしているのです。パウロはフィレモンに対して、フィレモンが彼自身正しいと思う仕方でオネシモに対応するようにと、自由を与えています。<善い行いが、強いられたかたちではなく、自発的になされるように(14)>という言葉に、そのことが表現されています。

 ただフィレモンが守ってもらいたいことは、神の意志としての愛が彼の行為の基準とならなければならないということです。オネシモを<愛する兄弟>として受け入れて欲しいという言葉がそのことを表現しています。

 奴隷制度の時代にあって、パウロは、奴隷であったオネシモを、<わたしの子オネシモ>(10)、<わたしの心であるオネシモ>(12)と呼び、「一人の人間としても、主を信じる者としても、<愛する兄弟>であるはずです」(16)と語っています。さらに、オネシモを<わたしと思って>(17)迎え入れてくださいとあるように、兄弟フィレモンに、パウロ自身と思って奴隷を歓迎するよう主人に命じています。

 偉大な使徒がひとりのただの奴隷にためにいかに力を尽くしているか、そしてその奴隷の解放ではなく、むしろ彼を再び受け入れ赦すように迫っていることは驚くべきことです。このように<愛する兄弟>(16)としてオネシモと接することは、実質的には差別を解消させています。この短い手紙は福音がいかに社会制度に対して大きな影響を及ぼす力を持っていたかを示しています。

 現代では、奴隷制度は撤廃されています。人身売買は認められていません。しかし、奴隷扱いは全く無くなったとは言えません。無理な強制労働を課す事業者がいます。芸能プロダクションのジャニーズ事務所のジャニー喜多川元社長(2019年死去)による性加害問題が社会問題になっています。これも社長の権力により、長い間、自分の性的欲望のために大勢の若いタレント達の人格を無視し、奴隷扱いをしたようなものです。差別による事件は後を絶ちません。

 キリストの福音は差別を解消させ、人と人との関係を新しくします。人間の社会に存在する身分や、様々な違いによって生じる壁を乗り越えさせ、様々な違いを持った人と人とを、共にキリストに結ばれた愛する兄弟姉妹とする力をイエス・キリストの福音は持っています。この手紙は、そのことを教える手紙でもあります。

 

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