余録:「戦ひに果てしわが子も聴けよかし…

2006年08月16日 08時20分45秒 | Weblog
「戦ひに果てしわが子も聴けよかし-。かなしき詔旨くだし賜(た)ぶなり」。
玉音放送を聴いた釈迢空(しゃくちょうくう)(折口信夫)の歌である。「昭和万葉集」に収められた終戦の歌では、二上範子の
「三人(みたり)の子国に捧(ささ)げて哭(な)かざりし母とふ人の号泣を聞く」
も忘れられない

▲戦前のマルクス経済学者で弾圧を受けた河上肇の
「あなうれしとにもかくにも生きのびて戦(たたかひ)やめるけふの日にあふ」
は率直な心情を表したものだろう。
「玉音に泣き伏しゐしが時ありて児(こ)らは東京へ帰る日を問ふ」
は疎開先での永山嘉之の歌だ

▲敗戦を聞いた時の心情を日本人に尋ねた米調査団のデータがある。「後悔・悲嘆」が30%、「驚き・衝撃」23%、「安堵(あんど)感・幸福感」22%、「占領への危惧(きぐ)」13%、「幻滅・空虚感」13%、「恥ずかしさ」10%、「予期していた」4%、「陛下に申し訳ない」4%だ(重複回答あり)

▲人々がさまざまな思いで迎えた「その日」から61年の歳月が流れた。戦後の日本人は、この8月15日を内外の戦没者を追悼し、戦争の惨禍を振り返る祈りの日とした。そうすることで、人それぞれに異なる思いを国民的な鎮魂と平和の祈念へと穏やかに包み込んできたように思われる

▲なのに何ともざわざわと心波立つような落ち着かない終戦の日となってしまったのはどうしたことだろう。内外に及ぼす政治的波紋を承知のうえで、小泉純一郎首相は靖国神社参拝をほのめかし、その賛否をめぐって世論も二つに分裂しているのだ

▲61年を経て戦没者の追悼のあり方についてまだ論争を重ねなければならない日本社会である。だが人々のさまざまな思いを静かな国民的祈りへとつなぎ合わせる努力や度量を政治指導者が忘れてほしくない日もある。8月15日はそんな日だ。

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/yoroku/news/20060815ddm001070010000c.html

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