「ああ、これはもう一回エヴァンゲリオンをやるしかないんだな」というものでした。

2011年06月23日 21時03分46秒 | Weblog
『40歳の教科書NEXT』(モーニング編集部&朝日新聞社[編])より。

(各界の著名人に「40歳」という年齢をどう乗り越えていくべきか?について、さまざまなテーマで聞いたインタビュー集より。映画監督・プロデューサーである庵野秀明さんの回の一部です)

【『エヴァンゲリオン』については思い入れも強かったし、テレビ版の制作当初から「これは自分の最高傑作になる」という予感がありました。ほかの作品と比べてどうというよりも、一試合完全燃焼としてこれができれば、もう作家として十分じゃないかと思っていました。
 そしてありがたいことに予想以上の評価や反響があり、客観的には大成功だったと思うのですが、そこから先がたいへんでした。
『エヴァンゲリオン』の評価が高まるほど、周囲は「次もエヴァっぽい作品を」と期待してきます。そして実際、世の中には「エヴァっぽい作品」が溢れるようになる。
 でも、そうやって周りがエヴァに傾いていくほど、僕はエヴァから離れたくなるんですよ。作家として同じテーマや手法をくり返すのも嫌だし、もっと別のものにチャレンジしたくなるわけです。
 それで実写映画(『ラブ&ポップ』『式日』など)を監督したり、ほかの企画もやってみたりするんですけど、どうも呪縛から解かれていないし、新しい企画も作品として形にできない。エヴァを否定しようとすればするほど、自分の中でエヴァが顕在化してくる。
 考えてみれば、当然の話でした。
 当時の僕がやろうとしていたのは、ただ「エヴァじゃない」というだけの作品で、むしろ、ひたすらエヴァを否定することで、逆にエヴァの呪縛に囚われていたんです。
 また、当時の苦しさは、アニメ業界の閉鎖性に幻滅していたことも大きかったと思います。このままアニメ業界の閉じた世界にいても、新しいものは何も流れてこない。新鮮な水がいっさい流れない、狭くてよどんだ沼にいる魚になったかのような感覚です。いまにも窒息しそうで、とにかく外に出て新鮮な空気が吸いたかった。
 それでほかのジャンルの方々と接したり、自分にとって未知の分野に足を踏み入れたりしてみたのですが、結局、どこに行っても閉塞感はあるんですよ。アニメ業界ほどではないにせよ、それぞれ閉じた世界になっている。故郷の山口から大阪の大学に出たとき、そして東京へと出て行ったときと同じ感覚でした。場所が変わったところで、自分の感じる息苦しさは同じなんだなって。
 苦しかったですよ。この地獄からどう抜け出せばいいのか。どうすれば自分はエヴァの呪縛から逃れることができるのか。
 悩みに悩んで、最後にパッと浮かんだ結論が、「ああ、これはもう一回エヴァンゲリオンをやるしかないんだな」というものでした。もう一度、ゼロから出なおして再構築すれば、さすがに決着がつくだろうと。いま制作している『エヴァンゲリオン』の「新劇場版」は、そんなこともあって始めたんです。
 なんだか、迷いも気負いもなかったですね。さっさと終わらせて次に行こう、というくらいに考えていました。】

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20110614

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