塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ダゾーンと未契約の僕です

2021-11-14 21:38:29 | 日記
 先のベトナム代表との一戦において、伊東純也がゴールを奪い、2得点目は素晴らしいゴールだったにもかかわらず、ノーゴールの判定だったと聞きました。

 現在のテレビ・システムが万能ですべてが有意義とは思いません。

 ただ僕はダ・ゾーンと未契約のため、これら一連の内容は全て「伝聞」であり、実際冒頭でお話しした得点の場面は、本日14日になった現在でも確認すらできていません。

 ユーチューブという新しいマスメディアは、テレビ局という媒体、俳優や歌手という出演経験を持たない、僕のような一般人がとてつもない収入を得られる可能性があります。

 一方で僕の両親のような、ユーチューブやスマートフォンとは無縁の生活を送っている人間からすれば、素晴らしい媒体ではないのです。

 もし年齢や収入に関係を持たないことが民主主義の原点ならば、やはりテレビは民主主義的価値観を備えていると思います。

 ただ、サッカー日本代表の場合は番組制作費用という、テレビ局が考慮できる問題ではなく

 AFCが定める放映権料が高すぎる
 ホーム戦だけを中継するのは苦肉の策
 それでも赤字である

 という、一種の妥協案と聞きました。

 森保監督の解任がささやかれるのは、代表の成績が著しく下降している、という側面よりも、赤字なのだからせめて人気選手が誕生し、素晴らしい得点場面を増やしてほしいという願いが根底にある気がします。

 それはある種の「ご都合主義」にも思えますが、切実な問題でもあるのです。

 ここでも肝になるのは

 テレビマネーという名目の金
 スターシステムという金の生る木

 というお金にまつわる話題、というのが難しい点ではありますがね。
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昔は大型スパイク契約が少なかった気がします

2021-11-14 21:10:03 | 日記
 現在のサッカーでは、有力選手であればあるほどスパイク契約が大型化しています。

 メンフィス・デパイはセルヒオ・ラモスのように、契約切れのためにブラックアウトを軸に様々なブランドを試す選手がいることに変わりはありません。

 一方でプーマとネイマール、アディダスとポール・ポグバ、ナイキとロナウド、そしてアシックスとイニエスタのように、大型契約は選手本人のキャリア形成にも大きな意味を持たせています。

 「君の故郷、アルゼンチンは我らアディダスが支援している」
 「だから君もアディダスを履くべきだ」

 とナイキからの鞍替えをレオ・メッシに決断させたアディダスの口説きは、彼のキャリアを支える大きな出来事となりました。

 一方で過去の名手たちは、金銭面を含めなくともブランド契約に案外無頓着な印象があります。

 ペレは全盛期プーマの愛用者でしたが、以後アンブロとポニーを履いています。

 それはジーコも同様でル・コック、ディアドラを愛用し、鹿島アントラーズではプーマを履きました。

 ジーコほど実力と人間性を兼ね備えた選手は稀だと思いますが、それ以上にひとつのブランドと長期契約を交わさなかったことも驚きですよね。

 昔はアディダスとプーマが基本軸あり、ミッシェル・プラティニが代表との縛りのより

 フランス代表ではアディダスを着用
 ユヴェントスではパトリックを着用

 と履き替えていたことは致し方なかったのです。

 この2強にロットやディアドラ、アシックスにミズノなどが割って入るのは90年代初頭ですが、今から思えばこのころはまだ大型契約でも金銭的魅力はわずかであり、プレイ同様に牧歌的だったのかもしれません。
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金持ちたちの喧嘩はいずこへ

2021-11-14 20:52:12 | 日記
 完全に断たれたわけではない欧州スーパーリーグ構想ですが、根幹となるのは金の問題です。

 より多くの収入を確保するために考えられた方便、だと僕は思いますがでは仮にUEFAが有力クラブたちと協議の場を持つとしましょう。

 もし僕がUEFAの執行役員であるならば、スケジュールの緩和や移動距離については議題としますが、賞金については間違いなく現状維持で突っぱねます。

 何故ならUEFAが譲歩し、賞金の増額を決めた瞬間有力クラブは確実に「つけあがり」自分たちの力を過信するようになるでしょう。

 要は一度増額を決めてしまうと、ことあるごとに交渉の場を設けられ、金銭面の見直しをクラブが要求するためです。

 米国の車産業はフォードとGM,クライスラーの3社が担ってきましたが、その多くは日本市場から撤退していますし、GMに至っては2009年に経営破綻し、全米を揺るがす大事件となったことは記憶に新しいですね。

 GMが収益の高いピックアップ・トラックの製造に固執、つまり欧州車と日本車がこの段階で環境問題を真正面に捉えていたことを思えば、その思惑には大きな隔たりがあります。

 ただ、これはあくまで問題を構成する一つの要素であり、根幹はGMと労働組合にありました。

 組合は退職した従業員たちに配給される企業年金の増額を常に求め

 「いいのか、要求を飲まないとストライキを起こすぞ」
 「天下のGMにとって一大事ではないか」

 とせまり、年金の増額を常に認めさせていました。

 簡単に言えば、企業年金の負担がどんどんGMの体力を奪い、結果事情を賄うには収益性の高い車を製造、販売するしかなかった、それでも破綻したというわけです。

 UEFAは欧州スーパーリーグを断固として認めないでしょうが、同時に金持ちたちの喧嘩に付き合う必要もなく、ファン離れが進んでしまう可能性も残されているように思えてなりません。
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愛弟子を多く起用する際の批判

2021-11-14 20:41:12 | 日記
 仮に日本サッカー協会が森保一日本代表監督を解任し、後任を川崎フロンターレの鬼木達監督に絞り込んだとします。

 鬼木体制が発足しなくとも、マスメディアは海外リーグを含めフロンターレ出身選手たちで固めてはどうかといいますし、仮に発足すれば短期間でまとめる手段としては確かに一理あります。

 しかしマスメディアは自分たちの報道を、すでに忘却しているようですね。

 2006年、イビチャ・オシム体制が発足し、彼が率いていたジェフユナイテッド千葉から多くの選手を招集すると

 「ジェフの選手が多すぎるよ」
 「オシムは贔屓しているのか」

 を声を荒げて批判しました。

 ならば仮に鬼木体制が発足し、フロンターレの選手たちで代表が構成される比率が高いのであれば、同様の批判をすべきでしょう。

 もし批判しない理由が、オシムが外国籍であり叩きやすいから、というものであったとすれば、それは絶対にあってはなりません。

 サッカーに限らず日本のマスメディアは、外国籍をたたきやすい、批判して記事にすることを目標にしているように感じます。

 その代表的な言葉が「害人」であり、本当に嫌な言葉だと思いますし、彼らは成績は低迷しているかもしれませんが、警察の厄介になったわけではありませんし、必死に日本社会に喰らいついているわけですからね。

 確かに森保監督が大胆な選手配置をするわけではありませんし、安全策と思われる部分もあります。

 それは代表キャップが浅い選手がミスをすれば、今後のサッカー生活に悪影響を及ぼす可能性が高く、だからこそ慎重になるのでしょうが、指揮官が「殻」を破るには、思い切った選手の抜擢は必要でしょう。

 案外選手たちは森保監督が思う以上に、精神は頑丈にできていると思いますし、とりわけ三笘薫の招集は器用して初めて価値があるはずですから。
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