塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

僕は基本、予習をしません

2021-11-25 21:31:03 | 日記
 僕は勤務に関して予習はしません。

 それは資料を読むと不安だけが広がり

 「明日勤務に出かけるのは嫌だなあ」
 「果たして僕にできるのだろうか」

 と安眠できなくなるためです。

 安眠し、気持ちを落ち着かせるには予習はむしろ無意味であり、僕はトライして内心「下手くそだなあ」「どうしてうまくいあかないのだろうか」とつぶやきながら取り組む方が、まだ良いのです。

 1996年のアトランタ五輪、日本五輪代表の選手たちがスカウティングでブラジル五輪代表の映像を見たその際、やはり不安しか残らなかったと言います。

 五輪代表は当時から23歳以下という規定事項がありましたが、日本はそのオーバーエイジを採用しませんでした。

 しかしブラジルは五輪代表だけでも桁違いの戦力であるにも関わらず、アウダイールを軸にオーバーエイジ3選手を含む、絶対的戦力の下で金メダルを獲得だけを目標に、米国に移動してきました。

 1ー0の勝利はやはり偶発であり、ブラジルからすればアクシデントで敗れたとしか言いようのない敗戦でしたしね。

 人間である以上、選手本人も気にしない「癖」や性格があるものです。

 だからこそコーチング・スタッフたちは、自国代表の長所や対戦相手から奪ったゴール集を編集し

 「俺たちはこんなに凄いんだよ」
 「彼らも人間、弱点、欠点はあるものだ」

 と選手たちに問いかけますが、むしろ力の差がありすぎた際は逆効果ではないでしょうか。

 コーチたちの言葉が白々しく聞こえるでしょうし、一度見た映像の衝撃はそんな簡単に脳裏変え消えることはありません。

 ですので僕は勤務で下手くそでも体になじませる形を取っています。

 僕は地道、実直、地味こそ自分の特徴であると思っていますし、格好良いことから遠く離れていてもそれは致し方ないと思うので。
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セルヒオ・ラモス、ミズノと契約が近いのか

2021-11-25 21:11:05 | 日記
 今夏よりパリ・サンジェルマンに在籍するセルヒオ・ラモス。

 長年レアル・マドリードとスペイン代表の最終ラインを支えてきた彼が、契約解除金なしでパリに新天地を求めたことは、大きな驚きでいsた。

 同時にエル・クラシコで何度もぶつかってきたふたり、レオ・メッシとネイマール、FCバルセロナの主軸だった二人と今度は同じクラブの名を連ねるわけですから、これも移籍市場のなせる業といえるでしょうか。

 そのセルヒオ・ラモスがミズノを試し履きしていることが話題です。

 彼はこれまでナイキ、アディダスと愛用してきましたが、パリ・サンジェルマン移籍直後からミズノを履き始め、いよいよ本契約が迫るのではないかと感じられます。

 それはブラックアウトの配慮がないこともそうですし、もじミズノの感触が気に入らないのであれば、ナイキ、アディダスを再度愛用するか、例えばニューバランスやアンダーアーマーを試す。

 という事も可能だからです。

 それはセルヒオ・ラモスがスパイクに限定すれば「未契約」の形のためです。

 ただ。ミズノがどう考えるかわかりませんが、契約は慎重になるべきでしょうね。

 アシックスが同じくスペイン代表の同僚だったアンドレス・イニエスタと契約し、ウルトラレッツアという彼専用のスパイクを開発するまでになりましたが、これはやはり「特例」でしょう。

 イニエスタだろうがセルヒオ・ラモスだろうが、どんな名手でも30代半ばの選手と新しく(複数年で)契約を結ぶことは、それなりの緊張感が漂いますし。僕個人はフェルナンド・トーレスとの契約は、彼の引退も影響しましたが短すぎたと思います。

 ミズノがワールドクラスの契約選手が欲しいと思うのは当然の気持ちでしょうが、僕は慎重論を取ります。
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花形職業でもないのに罵声が起きる理由

2021-11-25 20:49:47 | 日記
 今の日本において一番の花形職業は「声優」ではないでしょうか。

 過去女性は民放のニュースキャスターやフライトアテンダント(当時はスチュワーデスと呼びましたね)、男性はプロ野球選手(サッカーはプロではない時代でした)などに憧れたと思いますが。

 ただ、不況や給料の増額が見込めない現状、公務員や自分の実力で高額報酬が得られる大工、という声が子供たちの中にもあり、サッカー選手は既に埋没しつつある気がします。

 僕はアニメーションに精通していませんが、神谷明、野沢雅子両氏の名前と顔は一致します。

 三浦知良が海外移籍の先駆けとなったように、声優が花形職業となり多くの人気声優が誕生したのも、先人たちが努々懸命に取り組んできたことの証ではないでしょうか。

 そうしますと不思議ですよね。

 サッカー選手は高給取りではありませんし、日本代表のテレビ視聴率はどんどん下落していると言います。

 簡単に言えば注目されることすら困難になりかけているにも関わらず

 1・サッカーマガジン編集部は、リーグカップ優勝の名古屋グランパスエイトの増刊号を発売
 2・日本代表の冴えない戦いぶりに、監督人事の話題が沸騰
 3・森保やめろ、と監督に対して罵声の嵐

 という、ある種の逆転現象が起きています。

 花形職業が注目を浴びる、高額報酬でありファンが喝采を送るからこそ、批判的な意見がつきものですが、Jリーグはテレビ中継すらなく、ダイジェスト映像も確認できないありさまです。

 しかし裏腹にこれだけの批判を浴び続ける日本代表と代表監督とは、一体何を意味し存在するのでしょうか。

 イタリア代表がワールドカップ予選でプレイオフに回って落胆しているのは、欧州選手権優勝という喜びがある一方で、前回の予選落ちというアレルギーのためですよね。
 
 このような批判の背景が明確であれば、何となくですが合点がいきますがね。
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