塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

エウゼビオが成し遂げた意味を考えて

2021-11-08 22:38:25 | 日記
 前回のブログ「エウゼビオが感じた誇り」に、セルジオ越路さんからご意見をいただきました。

 閲覧していただきありがとうございます。

 エウゼビオは1966年イングランド・ワールドカップ得点王であり、同時にベンフィカ・リスボンという在籍クラブの枠を超え、ポルトガルという国家そのものを背負った存在でした。

 厳密にいえば、エウゼビオは植民地のモザンビークからやってきてポルトガル・サッカーの発展に寄与します。

 しかしながら時は独裁をふるうサラザール体制でしたから、レアル・マドリードを筆頭に欧州屈指の名門が続々と獲得に乗り出すも、エウゼビオが移籍することはできない、というよりも無理な形だったのです。

 彼の真意はわかりません。

 ただ同時代のペレが自分の意志でサントスに残留を希望したペレとは、真意からして異なりますよね。

 勿論現在でもドイツ代表のマルコ・ロイスがボルシア・ドルトムントとの契約を尊重していますし、過去には

 フランチェスコ・トッティ ASローマ
 フランコ・バレージ ACミラン

 というように、一つのクラブだけで人生を過ごした名手もいます。

 彼らは政治的圧力で残留しつづけたわけではありませんが、仮にインテルやラツイオでなくとも、イタリア国内で移籍すればファンから大きな批判を浴びたに違いありません。

 エウゼビオが66年ワールドカップで挙げた得点は9ゴール。

 初出場のポルトガル代表にとってエウゼビオは代表そのままといえる存在でした。

 この大会の主役ばボビー・チャールトン、ボビー・ムーア、そしてジェフ・ハーストというイングランド代表の面々と、トロフィーを授与した襄王平価でしょうが、この黒豹も忘れてはならない存在です。

 ただ歴史上では地味な印象なのか、ゲルト・ミュラーやマルコ・ファンバステンの方が先に思い浮かぶ方、案外多いようですが。
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エウゼビオが感じた誇り

2021-11-08 20:56:24 | 日記
 今のサッカーファンでポルトガル代表といいますと、マンチェスター・ユナイテッドに在籍する2選手、ロナウドとブルーノ・フェルナンデスを連想しますよね。

 以前から好きな方は

 2000年代 ルイス・フィーゴ、デコ、ルイ・コスタ、ペペ、ジョルジュ・コスタにヴィトール・ヴァイア
 1980年代 パウロ・フットレ ウンベルト・コエリョ ロイ・バロシュ

 が思い浮かぶと思います。

 ロナウドが同国の最多得点者として認知されていますが、それ以前はボルドーとパリ・サンジェルマンで活躍したペドロ・パウレタが有名でしたし、何より「エウゼビオ」の名前をおろそかにはできません。

 ロナウドがエウゼビオの記録を更新した際、この伝説の名手は

 「私が代表選手だった時は、ルクセンブルク代表と試合をすることはなかったよ」
 
 と漏らしたそうです。

 そう、前回もお話ししましたがサッカーが民主主義的発想、つまりサッカーそのものが盛んでない地域への普及活動、ワールドカップ出場国を増加させることで、得点の記録は大きく変化しました。

 エウゼビオの時代は欧州ならばイングランドやイタリア、スペインにユーゴスラビアなど、今は独立国とすて分断される国もなければ、リーグが盛んなエリート集団のみと戦っていました。

 簡単に言えば、「格下」という発想はなかった違いりません。

 エウゼビオはロナウドを祝福しながら遠回しに

 「私の時代はもっと厳しかったよ」
 「その厳しい時代に生まれた記録と記憶だ」

 という自身の鍛錬を結果を、誇らしげに思い同時に周囲もそうあってほしいと感じたのでしょうね。

 そのポルトガルもロナウドの引退後は「顔」を失う形になりますから、今からその時の準備をしておく必要はあると思いますよ。
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セレソンがワールドカップを連破したとき

2021-11-08 20:46:48 | 日記
 来年のワールドカップ、仮にフランス代表が出場し2連覇を果たしたならば、1958年、62年のブラジル代表以来の形です。

 つまり1930年からおよそ100年続くワールドカップ史の中で、連覇の事例はひとつだけということになります。

 1966年イングランド・ワールドカップにおいて、ブラジル代表と戦う各国は、とにかくペレに仕事をさせないよう徹底したマンマーク、つまりファウルとラフプレイも辞さない形で守備をこなし、結局ペレは大会を去ります。

 仮にペレが審判から守られ、コンディションを維持していれば、優勝に近づいたかもしれません。

 もし実現していれば、1958年から70年までワールドカップを4連覇した形になりますが、歴史はそうではありません。

 では仮にフランス代表が連覇したとして、その栄光はブラジル代表と同等の評価になるものでしょうか。

 ブラジルが優勝したワールドカップ出場国は16
 フランスが優勝したワールドカップ出場国は32

 言い換えれば、フランスの優勝はより民主主義的に多くの国に門戸を与えた形での優勝、ブラジルの優勝は16というある種保守的、単純にエリート国しか参戦していなかった形でした。

 つまりブラジルの方が、戦力と実力が拮抗しているだけでなく、今のように情報伝達の速度が発達していない、つまりスカウティングや緻密な策s年会議を開くことができなかったことにあります。

 ペレは欧州のメガクラブから、白紙の小切手を渡され希望の金額を記入してください、と指摘されてもサントスを離れることはありませんでした。

 つまり、ブラジル以外のサッカー強国にとって、ペレのような絶対的名手を観察できるのは、むしろ本戦でないと無理だったのではないでしょうか。

 そう思いますと、16という限られたエリート集団の中で得たセレソンの連覇は、本当にとんでもない栄光ではないかと思うのですね。
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平穏な日々が戻ってきたようにも思えますが

2021-11-08 20:36:41 | 日記
 昨日、長野市まで電車で出かけたわけですが、両親は意外にすんなりと了承しました。

 その背景には

 1・僕を含めた家族全員が、コロナウイルスのワクチン接種を2度終えたこと
 2・長野市も含めて新型コロナウイルスの余波が急速のしぼみつつあること
 3・従って現在の形ならば、出かけても差し支えないだろう

 という意味合いがあったと思います。

 ただハノイに移動した日本代表が宿泊するホテルでは、感染者が8名確認されたという事で、コロナウイルスの影響はまだまだ予断を許しません。
 
 難しいのが各国によって感染者数に大きな開きがある点で、現状敵地でのオーストラリア代表戦は、カタール開催なのかオーストラリア開催なのか、まだわかりませんしね。

 このまま感染者数が減少すれば、来季のJリーグは観客動員数を限定することなく観戦は可能化のと思われますが、実際はどうなるでしょうか。

 またワールドカップのホストとなるカタールの現状は窺い知れま縁が、開幕が迫る北京冬季五輪では、改めて

 選手の安全をどう守るか
 仮に感染者が出た場合、どのような形で隔離と治療を行うのか
 観客動員は現状どうか

 という問題点の解決に、多くの視線が集まるでしょうね。

 僕は長野で猫カフェに出向き、ぬくもりを感じながら帰宅しました。

 「猫カフェ」という比較的小さい空間の中に、従業員の方と僕を含むお客がそれなりにいましたが、今までよりも「蜜」をきにしなかったのは、やはり穏やかな日常が戻ってきたと感じた為でしょうか。

 サッカーという日常が「完全」に戻るには、まだ時間が必要とも思いますがね。
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