塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

スパイクを隅々まで見渡して

2021-11-02 21:32:22 | 日記
 今NBA契約選手を抱えてはいないようですが、DADAは2000年代中期大変注目されたブランドでした。

 それはクリス・ウエバー、ラトレル・スプリューウエルという実力はあるが、わんぱく坊主の側面を持つ選手と契約したことにもあります。

 同時にDADAはナイキやアディダスなど、オーソリティ・ブランドでは考えれれない独自性も、その魅力でした。

 品名は忘れてしまい恐縮ですが、バッシュに車のアルミ・ホイールを形どった部品を組み込みます。

 選手がリバウンドやブロック・ショットなど宙を舞い、着地すると何とそのホイールが回転する仕組みなんです。

 これは単なる遊び心ではなく、ホイールの回転がバッシュ内の空気循環にも役立っているという機能も備えており、別の見方をすればリーボックのポンプシューズのような存在といえます。

 サッカー・スパイクでもサッカー・ジャンキーが興味深いですね。

 専門サイト「0014のブログ」では、製造をアドラーに依頼した本革スパイク「シュプリーム・フット」が確認できます。

 外観と機能はほぼアドラーで、ブランド・ロゴだけがサッカー・ジャンキーという、横浜FCの熱心なファンでも購入に迷いそうな感覚が、画面からは読み取れます。

 コンバースも最近ハイテクバッシュを手掛けるようになりましたが、ブランドロゴはコンバースでも機能はナイキそのまま、という事例もあるように、製造元をしっかり伝えることで、2社に恩恵が当たることはよいのではないでしょうか。

 ロットもニットアッパーを採用する一方、ディアドラは本革スパイク(日本展開は当然ありません)にこだわるというように、名時イタリアブランドでも認識に差があります。

 このように細部にまで目を配る楽しさが、スパイクにもバッシュにもありますよね。
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アントニオ・コンテ、新天地は再度ロンドン

2021-11-02 21:15:04 | 日記
 スパーズは新監督にアントニオ・コンテを指名しました。

 スパーズ最大の宿敵はアーセナルですが、当然チェルシーの動向も気になると思います。

 彼らは近年優勝トロフィーと縁がありませんが、アーセナルは少なくとも2019年FAカップを掲げました。

 またチェルシーはその「アントニオ・コンテ」が2017年のプレミアシップ優勝以後

 2019年 UEFAヨーロッパ・リーグ優勝 マウリツイオ・サッリ
 2021年 UEFAチャンピオンズ・リーグ優勝 トーマス・トッヘル

 という形で、欧州戦線でも存在感を示しています。

 スパーズはホゼ・モウリーニョ就任、解任の中で、ソリッドすぎる指揮官と選手を敗戦の「悪」に見立てるようなな形では思うような結果を出せないと判断したからこそ、前任者のヌーノ・サントを招聘したと考えました。

 ただ、コンテもソリッドな形という印象が僕にはありますし、むしろ十八番の3-4-2-1,3-3-2ー2が現在のスパーズにすぐさま浸透するかも定かではありませんが。

 チェルシーを率いていた際、3-4-2-1を用いることで

 「ナイジェリア代表 ヴィクター・モーゼス」

 という副産物が生まれ、彼はインテルでも活躍しましたがスパーズでもそのような「大当たり」が生じるでしょうか。

 モウリーニョも比較的短期で居場所を求めていく指揮官ですが、その点でもコンテは同様に思えます。

 チェルシーのファンが彼をスタンフォード・ブリッジでどのように迎え撃つかもそうですが、コンテ自身は手荒い歓迎は承知の上で、監督就任を受諾しているわけです。

 むしろ早い段階で勝ち点を積み上げ、スパーズ・ファンの満足、落ち着きを得ることの方がミッションとしては高度、ではないでしょうか。
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ワールドカップにおけるプランBの発動

2021-11-02 20:59:57 | 日記
 ワールドカップにおいて確固たる戦術がある場合、代表監督は別案を持たなくともよいのでしょうか。

 1986年のアルゼンチン代表は、ディエゴ・マラドーナという不世出の名手が最大限力を発揮できるように構成されており、ホルヘ・バルダーノやブルチャガも脇を支える面子でしかありませんでした。

 1994年のイタリア代表は、世界中にその名を拡散させた、アリゴ・サッキが率いていました。

 しかし欧州各国のテレビ事情に基づく試合開始は、ホスト国米国の午後真っただ中、照り付ける太陽の下、プレッシングは「絵に描いた餅」であり、最後はプレスという組織に押しつぶされかけた

 「ロベルト・バッジョ」

 という名手の想像力と創造力が訴えかけた形での準優勝でした。

 1998年のフランス代表も、1986年のマラドーナほど成熟はしていませんが、名手となる可能性を秘めたジネディーヌ・ジダンという存在が、結果的に大きな切り札となりました。

 指揮官エメ・ジャッケはこの背番号10が不在の際は、戦術を根底から改めると考えたほどで、4-3-1-2の陣形はまさにジダンあっての形でした。

 2002年の韓日ワールドカップ、韓国代表のフース・ヒディンクは3-4-3や3-3-3-1など、バック3の利点を最大限考慮しながら守勢に回名ないことを意図します。

 一方で日本代表はフィリップ・トルシエの十八番、フラット3を彼の就任時から一貫して崩すことはなく、同じバック3の採用国がホストというある意味奇妙な共通点があったほどです。

 2006年のイタリア代表「は4-3-1-2
 2010年のスペイン代表は4-3-3-(4-1-4-1)
 2014年のドイツ代表は4-2-3-1

 と基本布陣が根底にあることは確かですが、やはりプランBはあった方が良いと思います。

 それは本番で慌てないという意味もありますが、ワールドカップ48か国開催の今後、初戦での敗北、引き分けを挽回する際には基本布陣と選手の入れ替えが必要と考えたためですが。
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