塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

長期政権から監督を引き受けるとき

2021-11-28 19:25:11 | 日記
 マンチェスター・ユナイテッドとアーセナル。

 前者はアレックス・ファーガソン、後者はアルセーヌ・ヴェンゲルと二人の偉大なる指揮官に率いられたクラブは、彼らが去って以降監督人事だけでなく、サッカーの質でも内容が問われています。

 当然指揮官を任命するフロントの決断は重大です。

 しかし一番自己批判すべきなのが「ファン」ではないでしょうか。

 俺たちはユナイテッドで数々の優勝を果たしてきた
 だから新指揮官に移行しても、勝利の味をすぐに提供しろ
 俺たちは待つことはしないぞ

 というある種の驕りがあったように見受けられます。

 こんな雰囲気と感情が「仮に」オールド・トラッフォードとエミレーツから漂ってきたのであれば。

 ウナイ・エメリだろうがデイビッド・モイーズだろうが、それは短期で政終了となりますよ。

 勿論指揮官には時間は与えられるべきですが、ファンからすれば「それはどの程度の時間なのか」ということがわからない、自分たちで判別しようともしない、したがって威圧的になるのでしょうか。

 ユナイテッドならなホゼ・モウリーニョ政権で湯水のように金を費やしてもリーグ優勝はできませんでしたし、アーセナルも今季開幕直後、ミケル・アルテタは既に瀕死の状態でした。

 それだけかつて「勝ち続けてきたこと」の快楽、恍惚さはファンに知らず知らずしみこまれているのでしょう。

 むしろその成功体験を捨てるべきなのがファンのようにさえ思えてなりません。

 アーセナルもユナイテッドも過去はナイキと契約していましたが、現在は両クラブともアディダスと契約しています。

 もしナイキが(FCバルセロナという例外はあるにせよ)、アーセナルとユナイテッドをサポートする意味合いはもうない、という理由で契約を解除したならば。

 そのしたたかさは凄いとしか僕には言いようはありません。

 むしろアディダス首脳陣の見解はどうでしょうか。
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米国に見られる特有の価値観

2021-11-28 19:07:09 | 日記
 日本野球はアマチュアでもプロフェッショナルでも、投手は常に完投勝利を目指すべきと考えられます。

 一方で米国は投手の肩を考慮し、先発と中継ぎ、抑えの3役で9回を投げ切ります。

 実は僕、継投策以外にも投手分担には意味があると思います。

 僕らは業務で手が空くと、仕事が溜まっている部署の応援や、部屋の整頓や整理を行います。

 しかし米国では労働の場合、他人を助ける頻度は相当少ないと言います。

 それは僕が誰かを助けてしまうと、その助けた人物の労働という仕事を奪ってしまうと考えるためで、例えばホテルで荷物を預けたベル・ガールがその重さに苦戦しても、旅行客は一切手伝わないし、ベル・ガールも当然の行為と受け取るといいます。

 MFLでは出番が限られているキッカー、パンター、パントリターナーも、必ずゲームの枠組みに採用されていますし、NBAでも一軍登録12名の選手の中で、ヘッドコーチはどんなに成績の振るわない選手も

 「チームの一員である」

 とみなします。

 米国が黄色人種や黒人に対し、厳しい侮蔑行為を行ってきたことは事実ですし、同性愛を公表した人間に大きな批判が向けられることもあるようです。

 ただ、根本的には(伝統的といってもよいかもしれませんが)勇気、平等に博愛という精神が今でも備わっているように思えますし、野球、バスケットボール、アメリカン・フットボールにはその意思が見え隠れします。

 米国では近年、MLSが軌道に乗り、米国代表もワールドカップ出場経験を持ちまs。

 ラグビーも需要が高まってきているらしく、この英国生まれの競技がゴルフとテニス同様に、今後米国でさらに発展するかどうかは、米国気質の中にどれだけ反映されるかが鍵となる気がします。

 フランスは人権の際、博愛を訴えましたが、プロサッカーではクラブが不調になると暴力に訴えるファンが多く、その信条から大きく逸れているように思います。

 それはサッカー大国で知られる、隣国のスペインとフランスも同様なのですがね。
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区切りの良い数字を考えて

2021-11-28 18:58:30 | 日記
 日本人は区切りの良い数字が好きですよね。

 プロ野球でスト名球会入りの条件に、投手ならば200勝という決まりがるはずですから、191勝、197勝など後わずかで資格を満たせるにもかかわらず、引退表明する選手をみると、もったいないなあ、まだやれるのに。

 と僕らは考えがちです。

 ただ、選手からすれば自身の決断を外野から指摘されることは嫌でしょうし、当然尊重しなくてはいけませんがね。

 キング・カズは恐らく横浜FCを退団すると思います。

 キング自身もJ3、JFLなど下のリーグに移籍してもよい、まだまだプロとしてやれることはあると信じています。

 中に彼の考え、決断に対して

 「もうよくやったよ、引退したらどうだろうか」
 「これ以上、鍛えても上達はしないよ」

 という否定的見解を持つ方がいても、全く不思議ではないでしょうし、それらの意見がある方がむしろ自然ですよ。

 キングは来年55歳となり、冒頭でお話しした「区切りのよい数字」であるわけですが、自分の矜持、誇りがサッカーという競技に向けられている以上、キングの看板を下ろし、

 「一人の選手として三浦知良と契約したい」
 「それはコマーシャリズムではなく、あくまで戦力として」

 というクラブがあると信じているいるに違いありません。

 ちなみに、今日でこのブログが連載初日から「4444日」を迎えることができました。

 なかなかこのような数字がそろう機会は僕自身にないもので、区切りという数字を題材に内容を考えてみました。

 例えばUEFAチャンピオンズ・リーグ、レアル・マドリードは2002年に9度目の優勝を果たしてから、10度目を果たすまで12季かかりました。

 その2014年当時の指揮官が現在のカルロ・アンチェロッティですが、レアルのような巨人でも区切りの良い数字は難しい面がありますね。
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