ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



安倍元首相って、あれだけの大宰相だったんだから、ファンが多いんだよね。もちろん、死後はいいところに還ってるんだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『地獄の法』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。

「今どき、閻魔大王だ、赤鬼だ、バカも休み休み言え。」そう思われる方も多かろう。「それは『日本昔話』の時代だ」と。教科書にも書いてないし、入試にも出ない。釈尊は縄文式時代人だし、イエスは大工のドラ息子。ソクラテスは、神の名を偽った、多数決の敵。
 天御祖神が、日本民族を創るために、三万年前に、アンドロメダ銀河から富士山に飛来したって?
 「男女が好きにセックスして何が悪い。犬と同じよ。」
 「宗教なんて全部洗脳で、霊感商法さ。」
 そう言っているジャーナリストに天使もいないし、弁護士だって地獄に堕ちる。「国葬」になっても閻魔様に舌を引っこ抜かれる奴もいる。
 この世で「大」なる者は「小」となり、この世で「小」なる者が「大」となる。心の善悪も判らなければ、学歴、職歴、勲章歴にかかわりなく、あなたは地獄行きだ。
(320~321ページ)

「今どき、閻魔大王だ、赤鬼だ、バカも休み休み言え。」そう思われる方も多かろう。

しかし、この世で「大」なる者は「小」となり、この世で「小」なる者が「大」となる。

「国葬」になっても閻魔様に舌を引っこ抜かれる奴もいる──。

え? ちょっと待ってください。

戦後に「国葬」になった人って、吉田茂元首相と安倍元首相だけですよね。

吉田茂って人も、戦後の日本を作った大宰相だったでしょ。

じゃ、この「閻魔様に舌を引っこ抜かれた」はいったい誰のことなの?

・・・うーん、その答えは、またの機会に!

地獄の法 ―あなたの死後を決める「心の善悪」― (OR BOOKS)

『地獄の法』

  大川隆法著


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どんな生き方をした人は天国に還れて、どんな生き方をした人は地獄に堕ちちゃうの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法――エル・カンターレの世界観』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 どのような生き方をすれば天国へ行き、どのような生き方をすれば地獄へ行くのか―。この問題に関して明確に教えてくれるところは、現在、ほとんどありません。また、あの世の存在を信じている人であっても、自分の生き方を霊的な目で見たとき、天国にふさわしい生き方なのか、地獄にふさわしい生き方なのかが分からないのです。
 最も簡単な考え方では、いわゆる戒律に照らして、「罪」と「罪でないもの」とを分け、「罪の多い者は地獄に堕ち、罪の少ない者は天国に行くのだ」としています。
 これは昔から流行っていた考え方です。ここ何千年かの人類の歴史のなかでは、洋の東西や民族を問わず、こうした考え方がありました。有名なものとしてはモーセの十戒があります。モーセ以前にも、メソポタミア地方においては『ハムラビ法典』がありました。
 現代では法律というものがありますが、法律の淵源は何かというと、結局、光の指導霊たちが説いた法なのです。しかし、その法を人々に分かりやすく説明することが不可能なために、ときおり、それが戒律のかたちで教えられました。つまり、「これはしてもよいが、これはしてはならない」という戒律として与えられたのです。
 したがって、霊的な世界を知っている人間も含めて、大部分の人間にとっては、「自分は戒律に反した生き方をしなかったか」という観点を持てば、天国・地獄というものを考えやすいと思います。
 確かに、物事の善悪を容易に分けるという意味において、戒律には分かりやすい面があると言えます。最も典型的な戒律は、「人を殺すなかれ」というものでしょう。「人を殺せば地獄に堕ち、人を殺さなければ天国に行ける」というものです。あるいは、「物を盗むなかれ」という戒律もあります。「物を盗めば地獄へ、物を盗まなければ天国へ」という、こうした二分法的な考え方があります。
 これも一概には幼稚と決めつけることはできないのであって、そうしたもののなかにも確かに真実が光っていると言えます。
 しかし、天国・地獄をほんとうに分けるものは、そうした戒律ではないのです。
 結局、六十年、七十年の人生を通して、仏の子としての本質に気がついた人は天国に行っています。しかも、その本質を発揮すればするほど、高い天上界へ昇っていっているのです。一方、仏の子としての本質に気づかず、その芽を出さないままにこの世を去った人は、地獄界で厳しい試練を受けています。これがほんとうの姿なのです。
(40~43ページ)

最も簡単な考え方は、「戒律に反した生き方をしなかったか」という観点であり、そのなかにも確かに真実が光っているが、しかし、天国・地獄をほんとうに分けるものは、戒律ではない。

人生を通して、仏の子としての本質に気がついた人は天国に行き、その本質を発揮すればするほど高い天上界へ昇っていっている。

一方、仏の子としての本質に気づかず、その芽を出さないままにこの世を去った人は、地獄界で厳しい試練を受けているのが、ほんとうの姿である――。

今日ご紹介したテーマを、まるまる1冊を使って分かりやすく説かれているのが、最新刊の『地獄の法』であるわけですが、今日は、最初期に別の角度から説かれたお教えになります。

ここでは簡単に「仏の子としての本質」と説かれていますが、考えてみると、これはけっこうむつかしい言葉なのかもしれない気がします。

その本質を発揮するとは、たとえば、愛すること、愛を与えること、と考えてみるとわかりやすいのかもしれません。

そのあたりが何かを本当につかむことこそが、「悟り」と呼ばれるものの一つの姿かもしれないと、改めて心静かに私は思っているのです。
 

『永遠の法』

  大川隆法著


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ね、幸福の科学の今年の中心的な書籍って、『地獄の法』っていうんだってね。このご時世に、なんでまた、全面的に「地獄」みたいな怖い言葉を打ち出したりするの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、新刊書籍『地獄の法──あなたの死後を決める「心の善悪」』のまえがきで、次のように説いておられます。

 恐ろしい本が出来上がった。
 この二十一世紀の世の中に『地獄の法』を刊行することになるとは。
 この便利で、豊かで、時々、核戦争の恐怖や、コロナ・パンデミックの恐怖に支配される時代に―。
 現代にこんな本が書ける著者がいるだろうか。
 そう、一人だけいたのだ、東洋のちっぽけな国、日本に。
 これが三千百書目となる、彼の本だ。
 彼―そう、あなた方の時代に生きながら、あなた方から見れば、遥かに遠い世界から遣わされた存在。かつて、アルファともエローヒムともいわれた存在。
 『地獄の法』とは、姿を変えた『救世の法』だ。この一冊の本を読んだか、読まなかったか。あなたは、もうすぐ、別の世界の入口で尋ねられることだろう。
(1~2ページ)

恐ろしい本が出来上がった。

この『地獄の法』とは、姿を変えた『救世の法』だ。

この一冊の本を読んだか、読まなかったか。あなたは、もうすぐ、別の世界の入口で尋ねられることだろう──。

これはたしかにたしかに、読めば読むほど、人ごとではないという意味で、とても恐ろしい本です。

そして、いま宗教には強い逆風が吹いているように感じられる時代、まさにそのど真ん中に、あえて正々堂々と剛速球で投げ込まれた感がある本でもあります。

本書は、著作3100書目というのですが、1人の著者が実際にそんな大量の著作を生み出すことができたなんて話は、過去にまったく聞いたことはありませんし、おそらくこれからも、誰もできない話だろうと思えます。

仏教の「大蔵経」はものすごい分量ですが、あれは数多くの仏弟子の手によって、釈尊(釈迦)の教えが伝えられたものであって、一人の著作ではありませんので、ここで比べるべき対象ではないでしょう。まさに「空前絶後」、というほかない出来事だと思います。

そして、この3100書の著者こそが、かつて「アルファ」とも「エローヒム」ともいわれた存在であられる、大川隆法先生であるわけです。

ゴーストライターがどうしたとか適当なこと言ってる人もいますが、刊行された内容のほぼ全てが御法話拝聴会の形で公開されてますので(最近は例外的に手書きで書き下ろされた小説もありますが)、どれも大川隆法先生がご自身で生み出された内容であることは、幸福の科学の熱心な信者であれば誰もが知っている事実です。

さて、本書は、タイトルは強烈ですが、読者を脅すことが目的ではなくて、世の多くの人々の誤りに強い一転語を投げかけて、真理に気づいてほしいという深い慈悲に満ちた書物であることが、一読することで理解できるように思います。

それが、「姿を変えた『救世の法』」と、ここで説かれた意味ではないでしょうか。

人は誰もが、遅かれ早かれ必ずあの世へ旅立ちます。

大川隆法先生は、その必ずやってくるときに備えて、誰もが本書1冊に目を通しておくことの大切さを、このまえがきで説いておられるのだと私は思っているのです。

地獄の法 ―あなたの死後を決める「心の善悪」― (OR BOOKS)

『地獄の法』

  大川隆法著


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もう亡くなった渡辺淳一の代表作のひとつに、「失楽園」って小説があったけど、あれに描かれた世界って、発刊されたばかりの『地獄の法』とは関係ないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「失楽園」のその後』――痴の虚人 渡辺淳一 直伝(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 それは突然にやって来た。ある意味で、来るべくして来たと言ってもよかろう。本年の四月三十日に亡くなられて十日余りで私のところにやって来た。生前に面識があったわけではないが、宗教の伝統的価値観とは対立し、説得する気持ちを持ち続けておられたに違いない。
 渡辺淳一氏は、作家としては有名で、様々な文学賞や勲章まで手に入れられた方である。小説『失楽園』は、二百五十万部以上の売れ行きだったといわれており、その映画化も社会にかなりのインパクトを与えたのは事実だ。
 私は「まえがき」で本書の結論を書くほど野暮ではない。本書で渡辺氏は独特の「性愛哲学」を展開しておられる。これに対して、私の教えを受けている編集局系の三人の宗教人が論戦を挑んでいる。価値観を巡ってのある種のディベイトであることは間違いない。どちらに強く魅かれるかで、あなたにとっての死後の「失楽園」を悟る方もいるだろう。
(1~2ページ)

本書の帯には、「不倫っていう考え自体が間違ってる。人間が勝手に決めたルールに過ぎないんです」という、渡辺淳一の霊の言葉(「霊言」)が、書かれています。

こういう考え方をしている渡辺氏は、死後、どういう世界に還っているんでしょうか。

渡辺氏と大川隆法先生の3人の弟子とのディベートは、何が論点になり、どういう結果になったんでしょうか。

まえがきだけではよく分からないのが残念なところですが、その答えを知りたい方こそ、ぜひとも本書をまず手に取ってみられることを、改めて強くお勧めしたいと私は思っているのです。
 

『「失楽園」のその後』

 大川隆法著


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