ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



悩みの渦中にある人は? どうすれば私は救われるの。幸福の科学も宗教だったら、これをしさえすれば救われるって、教えてくれるの? なーんて思ったりしてませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ダイナマイト思考──ミラクル宣言』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 つまり、私の考えはこういうことなのです。即席でワンパターンな、何らかの験(しるし)によって人びとを救おうとするのではなく、各人が、その心の奥に潜んでいる偉大なる思想、思考力を種子として、それを成長させていく考え方のなかにこそ、万人を救う鍵があると思うのです。
 このことは、心の働きというものの力をまだ充分に知らない人からみると、「単なる言葉のあやである」「まやかしである」「気休めである」、そのように捉えられることもあります。そして、人びとはそうした根本的な思考方法を捨てて、目先の利益に走ったり、目先の現象に走ったりしがちになります。「これをやればお金が儲かる」とか「これを拝めば病気が治る」といった目先中心の考え方に走っていく傾向があるのです。
 人間はそのようなものに迷いやすいという弱い性格をも持っているかに見えることもありますが、私はその人間をこそ強くしたいと思うのです。強くなることによって解決する悩みは、それこそ数限りないほどあります。いや、言葉を換えると、「その人が強くなって解決されない悩みなど一つもない」と言っても過言ではありません。
 今までシクシク泣いていた子供が、飴玉一つで笑顔になって元気になることもあるし、ほめ言葉一つで勇気が出てくることもあるし、通りかかった人が頭をなでてくれただけで、元気いっぱいに駆けまわるようになったりすることもあります。神と人間との関係もちょうどそれに似ています。人間は時折、挫折感に悩んだり、失意に悩んだり、劣等感に悩んだりしますが、神の言葉が身に臨んで、その言葉を胸に刻んで立ち上がるときに、力強く明るく、積極的で肯定的な存在として、再び生まれ変わることができるのです。
 私が述べているこの言葉を、単なる言葉として捉えるのではなく、実体験としてみなさんに経験していただきたい。そう私は強く強く願っています。私がくり返しくり返し説いている教えは、心こそがすべての出発点であるということであり、心を変えていくことによって人生は変わっていくという思想です。そしてそれは、まったく真実そのものです。幸・不幸は自分の心がつくっているのです。いや、もっとはっきり言うならば、心のなかにいかなる種を播(ま)くか、種子を播くかということに、すべてがかかっているのです。
(108~110ページ)

心こそがすべての出発点である。

幸・不幸は自分の心がつくっているのであって、心を変えれば人生は変わっていく。

心のなかにいかなる種子を播くかに、すべてがかかっている──。

大川隆法先生は、幸福の科学を信仰すれば救われるというような安直な教えは、説いておられません。

「心の法則」に基づく、とても合理的な教えを学び、それを実践すること。

そうすれば、人は自分の力で自分自身を救うことができると、教えておられるわけです。

もちろん大川隆法先生のお教えは、もっともっと多面的で、さまざまな教えを含んではいます。

でも、今日の一節を見るだけでも、なんて力強い、素晴らしい教えなんだろうと、改めて強く私は思っているのです。

 

ダイナマイト思考 ーミラクル宣言ー (OR books) 『ダイナマイト思考──ミラクル宣言』

 大川隆法著

 

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世の中、ひどい人がいるよね。激しい言葉、悪意ある言葉をぶつけてくる、イジワルしてくる人。しかもそれが、家族だったりすると、どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『理想国家日本の条件』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 まず考えるべきことは、先ほどと同じで、言葉の調律から始めることです。人を傷つける言葉、相手を裁く言葉、相手をほんとうにこっぱみじんに砕き、失意の底に落とすような言葉、そういう言葉を出さないことです。
 喉元まで出かかっていても、ぐっと思いとどまって、口を閉めてしまうことです。激しい言葉が出そうになったら、深呼吸してください。心のなかで、一、二、三、四、五、六……と数えてください。十も数えたら、その言葉は出さなくてすみます。出さなくてもいい言葉は出さないことです。もちろん、心のなかで思わないのがいちばんいいのですが、いったん思ってしまったならば、次はそれを言葉に出さないことです。
 言葉に出してしまったら、その言葉自身が生き物となって動きはじめます。仕事をします。耳を通じて、相手の頭のなか、心のなかに入って、相手のなかからも憎しみというものを喚び起こします。そして、さらに激しい言葉が相手からも出てきます。その結果、両方からの応酬になって、そこに血みどろの戦場が現われてきます。ですから、まず、相手を傷つける否定的な暗い言葉を出すまいという、最初の関門を守ってください。(中略)
 大事なことは、心に曇りをつくらないこと、毒を食わないことです。相手のほうに悪い点があるのかもしれませんが、その悪を自分自身のなかに植え込んで増幅させる必要はありません。
 ここで大事な考え方は、「他人の心は、自分の自由にはならない」ということです。これをよく知っておいてください。これはどのような王様でもそうなのです。身体は拘束できます。奴隷にすることも、殺すこともできます。しかしながら、その人の心は自由にはできません。どんなことがあっても自由にはできないのです。そのように、心は王国なのです。善き心であろうが悪き心であろうが、その人自身のものなのです。
 ですから、他人に対して腹が立ってしかたがないときには、その他人の心自体を支配することはできないということを、もう一度思ってください。そして、そのときに、みなさんがすべきことは何でしょうか。
 他人の心は支配できないけれども、自分の心は百パーセント支配できるという事実がここにあるのです。自分の心は自由自在です。どのような環境においても、どのような心を持つかは百パーセント自分自身で決められることなのです。ここがポイントです。他人の心は変えられなくても、自分の心を変えることはできます。
 しかし、自分の心が変わることによって、そこから発散される善念、善なるエネルギー、光が、実は他人を変えていくのです。感化していきます。他人の心自体を支配して変えることはできませんが、他人に影響を与えること、感化することは可能です。そしてそれは、なんと自分自身を変えることによって、そうなっていくのです。
(148~152ページ)

大事なのは、相手の毒を食わないこと。人を傷つける言葉、相手を裁く言葉を出さないこと。

「他人の心は、自分の自由にはならない」が、自分の心は百パーセント支配できるのであって、他人の心は変えられなくても、自分の心を変えることはできる。

そして、自分の心が変わることによって、そこから発散される善念、善なるエネルギー、光が、他人を変えていく──。

どんなに相手が悪いと思っても、まず耐えて、とにかく、悪しき言葉を出してしまわないようにすること。言葉の調律をすること。

これは、なんとか努力すればできそうな気がします。

そして、相手を変えようとするのではなく、自分の心を変える努力をすること。

これは、そう簡単ではないかもしれませんが、でも「心の法則」で、自分の心を変えれば相手も変わるという事実があるわけです。

とにかく、自分の力で人間関係を改善する努力はできるというお教えは、私たちの人生にとって、ものすごい福音ではないかと改めて私は思っているのです。

 

理想国家日本の条件ー宗教立国のすすめ (OR books) 『理想国家日本の条件』

 大川隆法著

 

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あーあ、どうしてうちのダンナは、優しくないんだろ。うちの姑は、どうしてあんなにいつもトゲのある言葉ばかりなんだろ。なんであの人は・・・・、なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『運命の発見 説法自由自在②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間は親切な人と会うと親切になるのです。ところが棘(とげ)がある人と会うと棘(とげ)が出てくるのです。これはひとつの法則です。
 したがって、まわりの人に優しくしてもらう方法は、自分が優しくなることです。これがいちばんの近道なのです。
 たとえば、こちらが「あいついやだなあ。」と思っていると、むこうもやっぱり「いやだなあ。」と思うわけです。いやだと思われることはいやなものですから、むこうもいやなわけです。同じです。こちらが「あの人いいなあ。」と思っていて、それでもいやだという人もなかにはおりますが、普通はそんなに悪い気はしないものです。
 結局、前述のたとえ話と同じで、その人が親切な人であれば、まわりも親切になってくるし、逆に人に厳しいと相手も厳しくなるということです。
 夫婦げんか、嫁、姑の問題、いろいろありますが、たまにこういう問題を相談してくる人がいます。相手がひどい、相手が悪いと言うけれど、その人自身もまた、だいたい似たような土俵に上がっていることが多いのです。その人がものすごい善人で、お姑さんだけが一方的に悪いということは普通はないわけです。やはりどんな人でも、すばらしい人に対しては多少の譲歩はするものです。「うちの嫁はやっぱりいいなあ。」と言いたくなるのです。それを言わないということは、やはり自分にも同じぐらい原因はあるということです。
 すべての人に好かれるような人は、そうはいないかもしれないけれども、自分のできる範囲で努力しなければなりません。そして、自分はたとえば初対面の人と会ったときに、どういう印象を与えるだろうかといった観点から、自分をもう一度見てみる必要があるのです。
 初対面の人と会って、みんなからあなたはすばらしい、ものすごくできた人だと言われる人が、御主人とだけ調和できないというならば御主人に問題があります。ただ、自分にそういう経験がなければ、やはり自分にも思いあたることは何かあるはずです。これを考えなくてはいけません。
 結局あなたが、ものすごくよくできた人になれば御主人も変わってきます。時間の差はありますが、変わってくるということなのです。
(32~34ページ)

人は親切な人と会うと親切になるが、棘がある人と会うと棘が出てくるの。

だから、まわりの人に優しくしてもらう方法は、自分が優しくなることである。

これはひとつの法則である───。

大川隆法先生が何度も何度も教えてくださっているように、この世界には、「心の法則」というのがあるわけです。

ですから、誰かの態度が変わってほしいと思うのならば、まずは自分が変わること。

やはり間違いなく、このお教えは、普遍の真理であったのだと改めて私は思っているのです。

 

運命の発見 ―説法自由自在 2― (SUPER CONTACT 説法自由自在 2) 『運命の発見 説法自由自在②』

 大川隆法著


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学生時代は、気の合う人とだけ付き合っていればよかったのに、社会人になってみたら、職場の同僚や上司とどうしても肌が合わないの。どうすればいいのよ? なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『コーヒー・ブレイク』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 自分を評価してくれない人や、自分にとって気に入らない人が、出てくることもあるでしょう。
 しかし、そうした人を、全部、駄目だと思わないようにし、気に入らない場合であれば、その人のどこが気に入らないのかを分析することが大事です。
 「この部分はどうも肌が合わない。自分としては受け入れがたい」と感じたとしても、他の部分を見て、「この人にも、よいところはある。こうしたところはよい」と思っていると、その思いは相手に伝わります。
 相手は、「自分は全面的に否定されているのではない。この人は、自分のこの部分を嫌っているが、他のところはよく思ってくれている」と感じるのです。
 すると、相手の人は自分を変えようとしはじめます。
 「この人と話すときは、ここを控えればよいのだな」ということが分かるので、相手が変わってきて、そのよいところが出てくるようになるのです。
 これは、知らず知らずのうちに、相手の変革を促していることになります。
 「この人にも、よいところはある」という見方をすることによって、相手を変えうるのです。
 しかし、「嫌いだ」と拒否してしまえば、取りつく島がなく、どうしようもありません。
 完全拒否しないことが大事なのです。
(134~136ページ)

気に入らない人の場合、まずそのどこが気に入らないのかを分析するのが大事である。

完全拒否せず、他の部分で「この人にも、よいところはある」と思っていると、その思いは相手に伝わり、相手は自分を変えようとしはじめる。

これは、知らず知らずのうちに、相手の変革を促していることになる──。

なるほど、なるほど、です。

つまり、「心の法則」を知れば、こういうところで人生の悩みを解決できることを、今日はお教えいただいたのだと私は思っているのです。 
 

コーヒー・ブレイクー幸せを呼び込む27の知恵 (OR books) 『コーヒー・ブレイク』

 大川隆法著


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私って、こんなにきれいにかわいくしてるのに、なんで彼氏はほめてくれないの? こんなにがんばって働いて、家事も万端やってるのに、なんでうちの旦那はぜんぜん認めてくれないの? なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

「足りないところだけを見て、それを求めつづけた場合、幸福になれる人間はいないのだ」ということを、まず悟らなくてはいけません。(中略)
 人間関係を良好にし、幸福な方向に導くには、一円のお金も要らないし、汗水垂らして努力する必要もないのです。必要なのは、心の態度を変えること、そして、具体的な、ささやかな好意を示してあげることです。それが大事です。
(153~159ページ

足りないところを求めつづけた場合、幸福になれる人間はいない。

必要なのは、心の態度を変えること.

そして、ささやかな好意を示してあげること──。

こちらから彼氏に、ちょっとだけ、いいところを見つけてほめてあげたらどうでしょう。

旦那さまが会社で頑張ってることを、ちょっとだけほめてみたら、どうでしょう。

「なんとかデー」なんてのと関係なく、ささやかなプレゼントなんて、選んでみませんか?

気がつくと、雑誌の星占いなんて気にしなくてもに、幸福な毎日が、簡単にやってくる。

大川隆法先生が教えられる「心の法則」を知って実践してみれば、魔法のような効果がやってくるのは間違いないことを、私は確信しているのです。
 

幸福の法: 人間を幸福にする四つの原理 『幸福の法』

  大川隆法著


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お金儲けっていうと印象悪いよね。でも、お金が集まってくるには、どうしたらいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「成功の心理学」講義』――成功者に共通する「心の法則」とは何か(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 宗教的な人格を持った人のなかには、お金に対する「罪悪感」のようなものを持っている人が多くいます。
 それは、「お金儲けに成功するというのは、いやらしいこと、汚いことだ。そういうことをするのは、人間としてよくないし、天国に行けない」という考え方です。
 要するに、「お金儲けをしたら、人間としては、この世的で、ずる賢くて、汚い人間になって、心が清くなくなる。魂が穢れて、天国に行けなくなる。だから、お金に縁のない人生を生きることが、純粋で正しいのだ」という考え方なのです。
 しかし、そうした考え方を持っていた場合、事業的に成功することは、ほとんどないと考えてよいでしょう。
 やはり、お金を嫌う人のところには、お金は集まってはきません。
(67~69ページ)

お金を嫌う人のところには、お金は集まってこない──。

以前、一般論として、成功者に共通する「心の法則」があることを、お伝えしたことがありました。

そして、その具体例のひとつを、今日は教えて下さっているわけです。

事業をまじめにやっているのに、成功できない方、赤字で苦しんでる方。

もしかして、自分の心の中を静かに見つめてみると、じつはお金を嫌っている自分がいるのではありませんか?

でも、お金というのは、本当に汚いものだったりするんでしょうかというと、そんなことはないわけで。

大川隆法先生は、お金というものは価値中立的なものであって、本来、善でも悪でもないが、近代社会の経済発展を見れば、むしろ善に近い効用を持っていると教えておられることを、以前ご紹介したことがありました。

もちろん、それが「執着」になってしまえば悪になってしまうんで、注意が必要ではあるわけですが、少なくとも、事業に成功するための大切な秘訣の一つがここで明かされているのだと、私は思っているのです。
 

『「成功の心理学」講義』

 大川隆法著


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人生って、迷ってばっかりだよね。人生のカーナビみたいなのって、ないのかなあ? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「成功の心理学」講義』――成功者に共通する「心の法則」とは何か(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 青春期、学校で勉強する時期としては最後の段階において、この「成功の心理学」を学んでいたかどうかが、その後の人生を大きく分けていくことになるのではないかと思うのです。
 世の多くの人たちは、「人生の成功・失敗は、かなりの偶然性に伴うものだ」と思っているかもしれませんし、宗教的な人のなかにも、多分に運命論的なものとして考える方が多いのではないでしょうか。(中略)
 結果的には、そのように言えることもあるかとは思うのですが(中略)、今まで五十八年の人生を生きてきたなかで、やはり、「『成功には法則がある』ということは、どうしても否定できない」と感じています。
 これは宗教的な悟りのすべてではなく、もちろん、この世的な部分を中心とした一種の法則ではありますが、今、自分を振り返ってみて、「この成功の法則をつかんだならば、人は必ず目的地の方向へ向かって進んでいくことができる」ということを確信しています。
 現代風に分かりやすく言えば、自動車のカーナビゲーション・システムのようなものでしょうか。(中略)
 世の中にはいろいろな職業があり、いろいろな学問領域がありますが、それが何であるかにかかわらず、こうした、「成功の心理学」という名の“カーナビ”を身につけることによって、人生を生き渡っていくことができるのではないかと思います。
(15~18ページ)

成功には法則がある。

この成功の法則をつかんだならば、人は必ず目的地の方向へ向かって進んでいくことができる。

どんな職業や学問領域においても、「成功の心理学」という名の“カーナビ”を身につけることによって、人生を生き渡っていくことができる──。

うーん、「成功の心理学」、ぜひとも学んでみたいものです。

成功者に共通する「心の法則」って、どんなものなんでしょうか?

そのヒントは、大川隆法先生の教えを数多くご紹介してきたこのブログでも、「心の法則」というキーワードで過去記事を探せば、見つけることができる気もします。

でも、それが一冊の本にまとまっているというのは、凄いことではないでしょうか。

興味を持った方は、ぜひご一読をお勧めしたいと私は思っているのです。
 

『「成功の心理学」講義』

 大川隆法著


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ね、成功するための心理学、みたいなのって、ないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「成功の心理学」講義』――成功者に共通する「心の法則」とは何か(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 「値千金」の「『成功の心理学』講義」である。
 医者や遺伝学者が何といおうとも、左翼思想家や、社会福祉家が何といおうとも、「成功の心理学」は実在する。
 生まれにおいて貧しい者は、そのままであれば、親と同じく貧しい一生を送るものだが、「成功の心理学」を身につければ、目に見えて人生は好転していく。自分の才能の乏しさや、社会環境の貧しさの言い訳に専念し、愚痴を習慣にしないことだ。信念と熱意を持ち、積極的で建設的な人生観を持つことに成功した人間には、あらゆることが学びの種に転化していく。不幸や貧乏、病気、学歴の不足、災害や火事でさえ、次の成功のためのヒントとなり、種子となっていくのだ。
 自分の研究所が失火によって、全焼した時にも、家族を呼んで、子供たちにも、「こんな光景はめったに見られるもんじゃない。しっかり見ておきなさい。これで一から研究をやり直せるぞ。」といった趣旨の言葉を述べた発明王エジソンの心境に学ぼう。
(3~4ページ)

たとえば、言い訳に専念したり、愚痴を習慣にしないこと。

信念と熱意を持ち、積極的で建設的な人生観を持って、あらゆることを学びの種に転化していくこと。

誰が何といおうとも、「成功の心理学」は実在する――。

一見すると、さりげなく書かれているようですが、しかしよくよく咀嚼してみると、とっても大事な大事なお教えがこのまえがきで説かれているのではないでしょうか。

こんな授業科目を教えてくれる大学に、今からでも入学が許されるのならば、ぜひとも私もそこで学んでみたいとほんとうに思います。

その講義内容の一端が、一般書の形で誰にも学べるように刊行されているわけで、これは凄いことだと思います。

もちろん本書は概論として説かれたものでしょうが、でも、この一冊をマスターするだけでも、人生の成功は約束されるといっても過言ではないと思います。

まさに「値千金」です。

人生の成功を志す方にとっての必読文献の一冊であると、改めて私は思っているのです。
 

『「成功の心理学」講義』

 大川隆法著


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悟ったと自分で称する人はたくさんいると思うんだけど、でも本当に悟った人を見分けるには、どうしたらいいのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 このように、自分の内のほうへ深く入っていくと、実はそのなかに、無限の宇宙へと伸びている道があるのです。無限の宇宙から各人のなかへとつながっているものがあるのです。
 それは結局、人間以外のものも含めて、この地上に存在が許されているすべてのものには、被造物、すなわち創られたものとしての痕跡があるということです。人間であれ、動物であれ、植物であれ、みな、創られたものとしての痕跡があるのです。
 創られたものとしての痕跡とは、その生き物をあらしめようとする力が宿っているということです。犬であろうと猫であろうと人間であろうと、男であろうと女であろうと、存在にはすべて、それをそのようにあらしめようとする力が宿っているのです。
 そのあらしめようとする力は、「仏性」という言葉で呼んでもよいのですが、表れ方においては、心の法則として表れています。すべての存在が、心の法則を持ち、その心の法則に則って生きているということが、創られたものとしての痕跡なのです。(中略)
 かつて、中国仏教形成の第一人者といわれる天台智ギ(五三八―五九七)も説いたことですが、人間は、さまざまな心の状態を出すことができます(一念三千)。
 たとえば、人間の性格について、「穏やかな人である」「寛容な人である」「知的な人である」「熱心な人である」など、いろいろな定義の仕方があり、それぞれの人について、いちばん特徴的な性格というものがあります。
 しかし、「ある人には備わっているが、別の人には完全に欠けている」という性格はないのです。その量の多少や傾向性の違いはあっても、どのような人も、さまざまな素質を同時に兼ね備えています。
 おとなしい人だからといって、絶対に怒らないかといえば、そんなことはありません。おとなしい人でも、どんどん問い詰められたりすれば、怒り出すことはあります。また、怒りっぽい人だからといって、いつも怒っているかといえば、そんなことはありません。穏やかで優しいときも、やはりあります。
 そのように、表れ方にでこぼこはあり、優劣はありますが、「十界互具」(拙著『太陽の法』第2章参照)といわれるように、すべての人のなかに、仏の世界、如来の世界、菩薩の世界、あるいは地獄の世界など、さまざまな世界に通じるような、心の働きがあるのです。そういう心の可能性があり、どのように“チャンネル”を合わせていくかという点に自由性が与えられているわけです。
 この自由性が与えられていることを知り、それを見事に自分の手中に置いて、コントロールすることのできる境地が、悟った人の特徴です。
 したがって、「いま、自分の心はこういう状態にある。こういう原因によって、こういう結果になっているのだ。そして、今後、このように考えれば、こうなるであろう」ということが自己認識できるようになること、さらに、「自分の心の作用が、他の人にどのような影響を与えているか。世界にどのような影響を与えているか。また、霊界にどのような影響を与えているか。あるいは、自分や世界の未来にどのような影響を与えていくか」というところまで認識していくことが大事です。
 ほんとうの意味で、心の法則をつかみ、心の自由性を獲得することが、悟りたる者であることの第一条件なのです。
(234~238ページ)

地上に存在が許されているすべてのものには、創られたものとしての痕跡がある。その生き物をあらしめようとする力であり、「仏性」という言葉で呼んでもよいが、それは「心の法則」として表れている。

すべての人のなかに、仏の世界、如来の世界、菩薩の世界、あるいは地獄の世界など、さまざまな世界に通じる心の働きがあって、どのように“チャンネル”を合わせていくかという点に自由性が与えられている。

この自由性が与えられていることを知り、それを見事に自分の手中に置いて、コントロールできるのが、悟った人の特徴である──。

今日は、ちょっと難しい話題だったかもしれません。

でも、「悟った人の特徴」を、これだけクリアに語ることができる方、つまり大川隆法先生こそ、まさに悟りを開いた方ではないでしょうか。

大川隆法先生の教えの凄さ。

それは、連綿として刊行され続ける「霊言集」だけでなく、こういった「悟り」に関する深さを究めた理論書においても、有無を言わさぬ形で示されているのだと、私は改めて思っているのです。

大悟の法―常に仏陀と共に歩め (OR books)

『大悟の法』

  大川隆法著

 

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前回、貧乏神ってほんとにいるって、教えてもらったよ。で、そんなのに取り憑かれたりしないようにするには、どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄思考』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 貧乏神の憑依は、基本的には、私がみなさんに教えている「心の法則」に基づいています。
 あの世の霊と、この世の人とは、「波長同通の法則」によって同類同士がつながります。必ず同類同士がつながっていくため、地上の人が、貧乏神を呼び込むような心の波長を持っていると、それが感応してくるのです。(中略)
 知らずに同通している、その源流は、どこにあるかというと、原因の一つは、自分が大人になるまでの家庭環境にあります。
 子供時代において、両親が経済的なことで苦労していた人は多いでしょう。日本では、戦後、倒産も失業もずいぶんあったので、経済的に困窮した親は大勢いたと思います。ただ、それを親が子供に語るときには、おそらく、苦労談が一種の美談に変わっていると思います。
 そして、「会社を何回も潰してしまい、お父さんやお母さんは苦労したんだね。苦労しなければ、人生は生きていけないんだな」などというような思いが、二十歳までの間に子供の頭に刷り込まれると、親を尊敬していればいるほど、その子には、親と同じことをしていく傾向が出てくるのです。(中略)こうしたことに気をつけなくてはいけません。
 これは、無意識のうちに貧乏神を引き寄せてしまう例ですが、もちろん、大人になってからの本人の心構え、心の持ち方も原因となります。
 私は、政治的には、左翼思想についての批判をしています。以前、マルクスの霊言も出しましたが(『マルクス・毛沢東のスピリチュアル・メッセージ』〔幸福の科学出版刊〕第1章参照)、マルクスという、左翼思想の教祖に当たる人、共産主義の開祖に当たる人が、百数十年間も地獄の無意識界で寝ているような状況なので、彼の思想を見習ったら、同じような方向に行くに決まっています。
 やはり、「どういう人を尊敬し、見習うか」というのは、非常に大きいことなのです。 子供時代には、親を見ているので、親の影響を強く受けますが、それを、どこかの時点で取り除かなくてはなりません。(中略)
 親には、尊敬すべき部分と、尊敬してはいけない部分とがあります。親の尊敬してはいけない部分に気がついたら、その部分については、尊敬するのではなく、それと入れ替えて、あなたが尊敬すべき人を、そこに置き、「あの人のようになろう」と考えなくてはいけません。
 経済的にも成功して、世の中のために尽くした人は数多くいます。そういう人たちのなかで、誰か自分に合った人を尊敬し、「この人のようになりたい」と思い続けると、次第しだいに波長が合ってきて、その人に似てくるのです。(中略)
 子供時代には親の影響がそうとう強く、それには、しかたのない面もありますが、大人になったら、親の影響から脱しなければいけません。(中略)三十歳を過ぎたら、「経済的な考え方、事業観、仕事観、あるいは、社会観、政治観において、どういうものを支持するか」ということは、自分の責任なのです。
(71~76ページ)

貧乏神の憑依は、「心の法則」に基づいており、地上の人が貧乏神を呼び込むような心の波長を持っていると、「波長同通の法則」でそれが感応してくる。

その心の原因の一つは、家庭環境にあり、親の経済的困窮の思いが刷り込まれてしまうと、親を尊敬していればいるほど、貧乏神を引き寄せてしまう。

大人になってからの本人の心構え、心の持ち方も原因となるから、成功者を尊敬し、この人のようになりたいと思い続けることで、親の悪い影響を取り除くことができる──。

さてさて。

今日のお教えは、貧乏神対策でもあり、また、真の経済的成功のための方法論でもあると思います。

一人でも多くのみなさんが、成功者を尊敬し、あこがれることで、貧乏神なんかと全く縁のない豊かな人生を送られることを、心よりお祈りしたいと私は思っているのです。

繁栄思考―無限の富を引き寄せる法則 (OR books)

『繁栄思考』

  大川隆法著


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幸福を科学するって、どういうことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『発展思考(新版)』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 当会では、「幸福を科学する」ということを目的として掲げていますが、これは、いったい、どういう意味なのでしょうか。
 別の言葉で言い換えるならば、それは、「幸福を呼ぶ心とは何かを研究する」ということにほかなりません。私たちは幸福を招く心のあり方を研究しているのです。
 つまり、当会では、「心」というものが一つの研究対象になっています。心は私たちの研究対象としての性格を十分に持っているのです。
 各人の心は、それぞれ別々のものではありますが、どの人の心にも一定の法則が働いています。それが、心を科学するための前提です。
 では、なぜ、それぞれ親も違う別々の人間なのに、各人の心に働いている法則は共通しているのでしょうか。
 逆に論じるならば、私たちは、ここに、「唯一の仏がいる」ということを考えざるをえなくなります。要するに、唯一なる仏がいるからこそ、地上でバラバラに生きている人々の心が一定の法則の下にあるわけなのです。
 私は、長年にわたり、この心の法則について勉強してきました。(中略)その結果、到達した、一つの結論があります。それは極めて単純かつ説得力のあるものでした。すなわち、人間の心は、ちょうど磁石のように、自分の“磁力”によって“砂鉄”を引き寄せるのです。
 その“磁力”が幸福になじむものであるならば、幸福の断片である“砂鉄”、すなわち、幸福な物事をさまざまに引き寄せます。逆に、その“磁力”が、負の性質を持つもの、すなわち、不幸の傾向性を帯びたものであるならば、不幸の“砂鉄”を引き寄せるのです。
 私は、「この法則には、まったく例外がない」と気づくに至りました。
 さらに、この「磁石と砂鉄の関係」を用いて、分かりやすく説明するならば、次のようなことも明らかになりました。
 それは、「人々の幸福を願う心を持っている人のところに幸福が集まる。一方、『人々の幸福を退けてでも、自分ひとりが幸福になればよい』と思っている人のところに幸福はやって来ない」ということです。まことに簡単なことですが、それが事実なのです。
 このように聞くと、(中略)「欲するものは何でも手に入るではないか。それなのに、『幸福になろうとする人は幸福になれず、自分の幸福はそっちのけで、他人の幸福を願った人が幸福になる』というのは、おかしいではないか」と言う人の顔が目に浮かぶようです。
 しかし、待ってください。私の言葉をよくよく理解していただきたいのです。
 「他の人々を幸福にしようとする」ということは、決して、「自己犠牲的に自分を捨てて、他の人々の幸福だけを願う」ということではありません。私が述べているのは、「他の人々の幸福を願うことこそが、真に自分が幸福になる道である」ということなのです。
 表面上、「自分を幸福にしよう。自分だけが幸福になろう」としている人は、実は、まったく逆のことをしています。それは、真に幸福になる道ではなく、誤解にすぎないのです。
(110~114ページ)

「幸福を科学する」とは、幸福を呼ぶ心とは何かを研究するということであって、どの人の心にも一定の法則が働いている。

人間の心は、磁石のように、自分の“磁力”によって“砂鉄”を引き寄せるが、その“磁力”が幸福になじむものであれば、幸福の断片である“砂鉄”、すなわち幸福な物事を引き寄せ、不幸の傾向性を帯びたものであるならば、不幸の“砂鉄”を引き寄せる。

また、人々の幸福を願う心を持っている人のところには幸福が集まるが、人々の幸福を退けてでも自分ひとりが幸福になればよいと思っている人のところには幸福はやって来ない──。

この「心の法則」を研究し、マスターすることで、私たち人間は、必ず幸福になれるっていうことなんだと思います。

やっぱり、幸福の科学はすごい、のではないでしょうか。

改めてしみじみと私は、そう思っているのです。

発展思考 (OR books)

『発展思考』

  大川隆法著

 

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テレビとか、インターネットやケータイとか普通の時代なんだから、あの世とか地獄がどうしたなんて話、古くさくて聞いてられないよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不滅の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「昔は、亡くなった人の場合、『成仏して天上界に還る』『地獄に堕ちる』『地上界にしがみついている』という三通りしか基本的になかったが、現代のように、テレビやインターネット、携帯電話などが普及する時代になったら、急に、そうしたものがすべてなくなってしまう」というようなことはないのです。
 むしろ、テレビやインターネット、携帯電話などの現代的〝武器″は、実は、目に見えない世界が存在することを立証するツールでもあると思います。
 地球の裏側の人と交信や会話ができたり、画像を送れたりするのは、本当に信じられないことです。しかし、こうしたことは霊界では現実に起きているのです。
 私も、常日頃、いろいろな人の想念を受けています。声も聞こえてきますし、私のほうに念が向いている人の場合は姿も見えてきます。特に、明け方の時間帯には、私は、いろいろな霊人と会話をしていることが多いのです。
 現代においては、機械を使うことで、ある程度、霊的な世界に近づいてきているのかもしれませんが、「それをもって、霊的な世界がないことの証明にすることはできない」ということを知っていただきたいのです。
 「霊性の時代」の証明としては、「難病が奇跡的に治る」ということもあれば、霊的現象が身に及んで霊の声が聞こえる場合もあります。また、天上界の光が入ってきて温かい感覚を得ることもあれば、ときどき金粉が降ったりすることも現実には起きています。
 あるいは、「これは自分の力ではない」と思うようなかたちで、仕事上の成果があがることも数多く起きてきます。
 それから、偶然とは思えないような、人との出会いが起きて、「誰かが引き会わせてくれているのではないか」と感じる瞬間もあります。
 これらは、すべて、目に見えない世界から、さまざまな助力が働いている結果なのです。
 したがって、総合的に述べるならば、今後、地上において物質文明がいくら進歩、進展しても、「心の法則」そのものがなくなることは決してありませんし、「人間が、『心の法則』に則って、この世とあの世を行きわたっている」というルールそのものは、決してねじ曲げることができないわけです。そのことを知っておいたほうがよいと思います。
(141~143ページ)

現代のようなテレビ、インターネット、携帯電話などが普及する時代になっても、霊界がなくなってしまうようなことはない。

むしろ、これらの現代的〝武器″は、実は目に見えない世界が存在することを立証するツールでもあって、これらでやっていることは、霊界では現実に起きている。

地上において物質文明がいくら進歩、進展しても、「心の法則」がなくなることは決してないし、「人間が、『心の法則』に則って、この世とあの世を行きわたっている」というルールは、決してねじ曲げることができない──。

スマホはもちろんのこと、インターネットや携帯電話さえ存在しなかった時代は、そんなに昔のことではありません。

そんな少し前の時代を実際に知っている者からすると、誰もがスマホを簡単に使いこなしている今の時代は、みんな霊能力を持っているのと変わりないんじゃないの、とか思ったりもします。

でもそんな進歩した時代だからこそ、あの世と呼ばれる世界(霊界)は現実にあって、いつの時代も変わらない「心の法則」が私たちを律しているということ。

そんな真実をしっかりと押さえて、この大切な人生を前向きに生きて行きたいものだと、改めて深く私は思っているのです。

不滅の法―宇宙時代への目覚め (OR books)

『不滅の法』

  大川隆法著

 

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無我って、何度も教えてもらったけど、でも、よくわかんないんだよね。結局は、無我の思想って、なんなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間は、この世で生きていると、「この体が自分だ」というように認識してしまいますが、体だけが自分ではないのです。
 もちろん、体とぴったり合った形をした霊魂というものもあり、これもまた、形は有限のように見えます。しかし、これは実は、有限のものであって有限ではないのです。それは大宇宙とつながっています。潜在意識といわれる世界のなかにおいては、広大無辺な霊界とつながっていて、共有意識、あるいは共通意識というような、全人類に共通している霊的想念の世界とも、つながっているのです。
 それはちょうど、電話やテレビの世界と同じで、あらゆる霊的存在と、一瞬にして、つながるような世界です。
 各人は、ばらばらに住んでいるように見えても、ちょうど、電話の配線工事がなされていて、それぞれの電話機にコードがつながっているようなものなのです。各人の存在は、そういうものであるのです。各人は別個の“ナンバー”を持っていながら、実は、すべてがつながっている存在なのです。
 そして、それをつなげているものは、いったい何かといえば、それこそが、心の法則にほかなりません。
 心の法則は普遍のものであり、その法則には、人種や性別、年齢、あるいは時代を超えて、共通のものがあります。
 「このような心であれば、こういう世界に通じる。こういう人たちと通じる」「このような思いを出せば、こういう未来が展開する」という、共通の、心の法則があるのです。
 釈尊は、内なる自分を見つめると共に、「この霊的存在が、実は個別の自我ではなくて、永遠の魂ともつながっている。永遠の大我ともつながっている。そして、個々別々の人たちの心が、みな、つながっている」ということを悟るに至ったわけです。
 現代的な言葉で言えば、「表面意識だけが自分なのではない。潜在意識のなかにも、自分と通じるものがある。自分は潜在意識とも同通している」ということです。
 その潜在意識は、自己の潜在意識であると同時に、霊界世界にある、他のさまざまな霊的存在とも一瞬でつながるものなのです。(中略)このように、あの世というのは、瞬間的にすべてがつながるような世界です。そういう強力なネットワークができている世界なのです。
 要するに、釈尊は、物質的に見える自分とは異なった、「霊界世界につながる我」という自我観を持ったのであり、それを「無我」という言葉で表したのです。
 無我とは、「我がない」ということではなく、「偉大なる大我とつながっている我」ということであったのです。「大我とつながっており、相互に影響し合っている存在。お互いに、別なもののようでありながら別なものではなく、同じようでありながら同じではない存在」ということです。
 そういう世界であったということ、「根本仏(根本神)の大きな念い、自己実現の念いが、個別の生命として表れて、花を咲かせているのだ」ということを、釈尊は知ったのです。
 これが空間領域での無我の思想です。
(196~200ページ)

霊魂とは、有限であって有限ではなく、大宇宙、広大無辺な霊界とつながっていて、全人類に共通している霊的想念の世界とも、つながっている。

各人をつなげているものは、普遍的な「心の法則」である。

釈尊が悟った「無我」とは、「我がない」ということではなく、「偉大なる大我とつながっている我」ということであった──。

これをわざわざ「空間領域での」と限定しておられるってことは、その先があるの? という疑問がわいてきますが、それはまた、次の機会に!

大悟の法―常に仏陀と共に歩め (OR books) 『大悟の法』

  大川隆法著


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失敗ばっかりなんだよね。なんで私って、こんななの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教立国の精神』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 何十年かの人生を生きている 間には、幾つかの挫折や失敗は、誰にでもあるでしょう。
 ただ、「それを、単に、自分に対する烙印として、つまり悪しき劣等感のようなものとして刻印するか」、それとも、「そのなかから何かを学んで立ち上がるか」は、その人の選択に委ねられているのです。
 私が説いている教えのなかに、「常勝思考」というものがあります。常勝思考とは、決して、「野球などのスポーツにおいて、必ず百戦百勝する」というような意味ではありません。「いかなる立場において、いかなる結果が出ようとも、必ず、そのなかから、生き筋を見つけていくことが大事である」という教えなのです。
 すなわち、現実に勝利を収めたときは、それによって、慢心し驕ることなく、さらに、「次なる勝利を目指し、謙虚に努力・精進していく」という自分自身の姿をつくり出していかねばなりません。これが、常勝思考の一つの面です。
 もう一つの面は、失敗や挫折に直面したときの対応の仕方です。さまざまな対応の仕方があると思いますが、結論的に述べるならば、「あなたがたの人生にとって、最も効果的であり有益である」と思われる対応の仕方は、失敗のなかから、教訓をつかみ出すことです。自分オリジナルの教訓をつかみ出し、次のチャンスの芽を探し出すことなのです。
 すでに成功したことのなかには、将来の成功の芽は、それほど多くはありません。すでに成功してしまったものについては、「これ以上、どうしたらよいか」が分からないことも多いのですが、失敗のなかからは、次の成功の種が必ず見つかるものなのです。
 人は、失敗することによって、数多くのことを学びます。失敗のなかから、ヒントが生まれます。次のやるべきことが明らかに見えてくるのです。
 この世において、自分を失敗させたり挫折させたりするようなこと、あるいは、不本意だと思うようなことが起きたときには、そのなかから、次の成功の種を丹念に探し出し、それを育て上げていくことが大切です。それが、いつの時代においても、いかなる職業においても、人生を成功させていく方法であるのです。(中略)
 失敗のときは、自分オリジナルのテキストができようとしているときでもあります。自らの「人生の問題集」が、一ページ一ページ、一問一問、明らかにされようとしているのです。
 なぜなら、そのなかに、あなたの次の課題というもの、あるいは、今世の人生の秘密というものが隠されているからです。自分が問題だと思っていることや、今苦しんでいることは、すべて、あなたの魂を伸ばすための教材でもあるわけです。
 そうしたことを肝に銘じ、一つひとつ、教訓をつかみ、自分をさらに伸ばしていかねばなりません。(中略)
 これは、ある意味で、この世的な処世の道ではありますが、このなかにおいて、先ほど述べた「心の法則」は確実に働いています。「あなたの思いそのものが、あなたの未来をつくる」という法則を、実感として、つかみ取ることができたならば、あなたの力は本当に十倍、百倍へと増していくでしょう。
(290~295ページ)

いかなる立場においても、またいかなる結果が出ようとも、そのなかから生き筋を見つけていくことが大事である。

人生にとって最も効果的であり有益であるのは、失敗のなかから自分オリジナルの教訓をつかみ出し、次のチャンスの芽を探し出すことである。

そのなかにおいて、「心の法則」(「あなたの思いそのものが、あなたの未来をつくる」という法則)を、実感としてつかみ取ることができたならば、あなたの力は本当に十倍、百倍へと増していく──。

今日は、なにか失敗して落ち込んでいるあなたに対して、力強いエールを送っておられる大川隆法先生のお教えを、ご紹介してみました!

『宗教立国の精神』

 大川隆法著

 

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信仰の力で病気が治ることがあるんでしょ。それって、どうしてなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ガンなどの病気になる人は、過去、何十年にもわたって、間違った考え方や生き方を引きずってきています。憎しみ、怒り、嫉み、妬み、怨恨、暴言など、人に対して害を与えるような、攻撃的な考え方や悪い言葉が心のなかにたまっているのです。
 こういうものを、きれいにしなければいけません。反省をしたり、悟りの進んでいる人に導いてもらったりして、心のなかにたまっているものを取り除いていく必要があるのです。
 以前、『千と千尋の神隠し』という映画がありました。この映画の監督は、霊界の裏側世界である妖怪の世界と親近性があるようですが、映画のなかに、「体全体に、どろどろしたヘドロのようなものをたくさん付けた、臭い“川の神”が出てきて、主人公の女の子が、それをお湯で洗い流してやる」というシーンがありました。
 心のなかの想念が真っ黒な人は、その川の神のように、体全体にヘドロのようなものをたくさんつけた状態で生きているのです。そういう人は数多くいます。
 そんな状態で生きていたら、病気にならないほうがおかしいでしょう。あるいは、事故などの不幸が自分や家族に起きないほうがおかしいでしょう。
 そのヘドロのような悪想念を落とさなければいけないのです。
 病気は、幸福の科学の精舎や支部で祈願をすると治ることもありますが、本来は本人自身に病気を治す力があります。
 病気になっている人に、正しい「心の法則」を教えてあげること、その人を正しい軌道に乗せ、明るい方向、天上界の方向に向けてあげることで、すべてがよくなっていくのです。(中略)
 最近の医学でも、「いろいろな病気の多くは、結局、免疫機能の問題である」ということが分かってきています。ほんとうは自分で病気を治せるのですが、免疫機能が低下してくると、悪いものが増えてきて、病気になり、最後は死ぬこともあるわけです。
 この免疫力は、実は、信仰の力、信じる力を持つと、かなり上がってきます。それは本人の意志としての想念の力でもありますが、日々、「仏のため、神のために、菩薩として頑張ろう」と思っていると、強い積極的な善念が体全体に満ちてきて、全細胞にじわじわと行き渡るため、免疫力が高まるのです。
 そうすると、初期のガンぐらいであれば、すぐに治ってしまいます。免疫力が高まれば、自分でガンと闘って、治してしまうことができるのです。
 この信仰の力を他の人に移していくことも可能です。ある人を強い情熱でもって導き、正しい道に入らせ、その人の心がパッと明るくなってくると、その人の免疫力は、ぐうっと上がってきます。そして、体の各細胞の生きていく力が増大してくるのです。
 「まだまだ、頑張らなければいけない。よい仕事をしなければいけない」という気持ちが各細胞に伝わっていくと、体全体からぐうっと力が出てきます。「自分には使命がある」と思えば、十歳も二十歳も年齢が若返ったように力が湧いてくるのです。
(216~220ページ)

ガンなどの病気になる人は、過去、何十年にもわたって、人に害を与える攻撃的な間違った考え方や悪い言葉が心のなかにたまっているので、反省したり、悟りの進んでいる人に導いてもらったりして、きれいにしなければならない。

人間には、本来、病気を治す力があるので、病気になっている人に、正しい「心の法則」を教え、その人を正しい軌道に乗せ、明るい方向、天上界の方向に向けることで、すべてがよくなっていく。

免疫力は、信仰の力、信じる力を持つと上がってくる。日々、「仏のため、神のために、菩薩として頑張ろう」と思っていると、強い積極的な善念が体全体に満ちてきて、全細胞にじわじわと行き渡るため、免疫力が高まる──。

今年の夏には、この教えを実際に実践した数多くの人たちを紹介したドキュメンタリー映画『奇跡との出会い。』が全国で一般公開されました。

それだけでなく、大川隆法先生の教えを、こうやってしっかりと理解してみると、信仰の力で病気が治るというのは、とても自然で当然のことだと思えてきます。

さてさて、みなさんも、そう思われませんか?

 

心と体のほんとうの関係。 『心と体のほんとうの関係。』

 大川隆法著

 

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