幸福を科学するって、どういうことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『発展思考(新版)』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。
当会では、「幸福を科学する」ということを目的として掲げていますが、これは、いったい、どういう意味なのでしょうか。
別の言葉で言い換えるならば、それは、「幸福を呼ぶ心とは何かを研究する」ということにほかなりません。私たちは幸福を招く心のあり方を研究しているのです。
つまり、当会では、「心」というものが一つの研究対象になっています。心は私たちの研究対象としての性格を十分に持っているのです。
各人の心は、それぞれ別々のものではありますが、どの人の心にも一定の法則が働いています。それが、心を科学するための前提です。
では、なぜ、それぞれ親も違う別々の人間なのに、各人の心に働いている法則は共通しているのでしょうか。
逆に論じるならば、私たちは、ここに、「唯一の仏がいる」ということを考えざるをえなくなります。要するに、唯一なる仏がいるからこそ、地上でバラバラに生きている人々の心が一定の法則の下にあるわけなのです。
私は、長年にわたり、この心の法則について勉強してきました。(中略)その結果、到達した、一つの結論があります。それは極めて単純かつ説得力のあるものでした。すなわち、人間の心は、ちょうど磁石のように、自分の“磁力”によって“砂鉄”を引き寄せるのです。
その“磁力”が幸福になじむものであるならば、幸福の断片である“砂鉄”、すなわち、幸福な物事をさまざまに引き寄せます。逆に、その“磁力”が、負の性質を持つもの、すなわち、不幸の傾向性を帯びたものであるならば、不幸の“砂鉄”を引き寄せるのです。
私は、「この法則には、まったく例外がない」と気づくに至りました。
さらに、この「磁石と砂鉄の関係」を用いて、分かりやすく説明するならば、次のようなことも明らかになりました。
それは、「人々の幸福を願う心を持っている人のところに幸福が集まる。一方、『人々の幸福を退けてでも、自分ひとりが幸福になればよい』と思っている人のところに幸福はやって来ない」ということです。まことに簡単なことですが、それが事実なのです。
このように聞くと、(中略)「欲するものは何でも手に入るではないか。それなのに、『幸福になろうとする人は幸福になれず、自分の幸福はそっちのけで、他人の幸福を願った人が幸福になる』というのは、おかしいではないか」と言う人の顔が目に浮かぶようです。
しかし、待ってください。私の言葉をよくよく理解していただきたいのです。
「他の人々を幸福にしようとする」ということは、決して、「自己犠牲的に自分を捨てて、他の人々の幸福だけを願う」ということではありません。私が述べているのは、「他の人々の幸福を願うことこそが、真に自分が幸福になる道である」ということなのです。
表面上、「自分を幸福にしよう。自分だけが幸福になろう」としている人は、実は、まったく逆のことをしています。それは、真に幸福になる道ではなく、誤解にすぎないのです。
(110~114ページ)
「幸福を科学する」とは、幸福を呼ぶ心とは何かを研究するということであって、どの人の心にも一定の法則が働いている。
人間の心は、磁石のように、自分の“磁力”によって“砂鉄”を引き寄せるが、その“磁力”が幸福になじむものであれば、幸福の断片である“砂鉄”、すなわち幸福な物事を引き寄せ、不幸の傾向性を帯びたものであるならば、不幸の“砂鉄”を引き寄せる。
また、人々の幸福を願う心を持っている人のところには幸福が集まるが、人々の幸福を退けてでも自分ひとりが幸福になればよいと思っている人のところには幸福はやって来ない──。
この「心の法則」を研究し、マスターすることで、私たち人間は、必ず幸福になれるっていうことなんだと思います。
やっぱり、幸福の科学はすごい、のではないでしょうか。
改めてしみじみと私は、そう思っているのです。
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『発展思考』
大川隆法著
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