無我って、何度も教えてもらったけど、でも、よくわかんないんだよね。結局は、無我の思想って、なんなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
人間は、この世で生きていると、「この体が自分だ」というように認識してしまいますが、体だけが自分ではないのです。
もちろん、体とぴったり合った形をした霊魂というものもあり、これもまた、形は有限のように見えます。しかし、これは実は、有限のものであって有限ではないのです。それは大宇宙とつながっています。潜在意識といわれる世界のなかにおいては、広大無辺な霊界とつながっていて、共有意識、あるいは共通意識というような、全人類に共通している霊的想念の世界とも、つながっているのです。
それはちょうど、電話やテレビの世界と同じで、あらゆる霊的存在と、一瞬にして、つながるような世界です。
各人は、ばらばらに住んでいるように見えても、ちょうど、電話の配線工事がなされていて、それぞれの電話機にコードがつながっているようなものなのです。各人の存在は、そういうものであるのです。各人は別個の“ナンバー”を持っていながら、実は、すべてがつながっている存在なのです。
そして、それをつなげているものは、いったい何かといえば、それこそが、心の法則にほかなりません。
心の法則は普遍のものであり、その法則には、人種や性別、年齢、あるいは時代を超えて、共通のものがあります。
「このような心であれば、こういう世界に通じる。こういう人たちと通じる」「このような思いを出せば、こういう未来が展開する」という、共通の、心の法則があるのです。
釈尊は、内なる自分を見つめると共に、「この霊的存在が、実は個別の自我ではなくて、永遠の魂ともつながっている。永遠の大我ともつながっている。そして、個々別々の人たちの心が、みな、つながっている」ということを悟るに至ったわけです。
現代的な言葉で言えば、「表面意識だけが自分なのではない。潜在意識のなかにも、自分と通じるものがある。自分は潜在意識とも同通している」ということです。
その潜在意識は、自己の潜在意識であると同時に、霊界世界にある、他のさまざまな霊的存在とも一瞬でつながるものなのです。(中略)このように、あの世というのは、瞬間的にすべてがつながるような世界です。そういう強力なネットワークができている世界なのです。
要するに、釈尊は、物質的に見える自分とは異なった、「霊界世界につながる我」という自我観を持ったのであり、それを「無我」という言葉で表したのです。
無我とは、「我がない」ということではなく、「偉大なる大我とつながっている我」ということであったのです。「大我とつながっており、相互に影響し合っている存在。お互いに、別なもののようでありながら別なものではなく、同じようでありながら同じではない存在」ということです。
そういう世界であったということ、「根本仏(根本神)の大きな念い、自己実現の念いが、個別の生命として表れて、花を咲かせているのだ」ということを、釈尊は知ったのです。
これが空間領域での無我の思想です。
(196~200ページ)
霊魂とは、有限であって有限ではなく、大宇宙、広大無辺な霊界とつながっていて、全人類に共通している霊的想念の世界とも、つながっている。
各人をつなげているものは、普遍的な「心の法則」である。
釈尊が悟った「無我」とは、「我がない」ということではなく、「偉大なる大我とつながっている我」ということであった──。
これをわざわざ「空間領域での」と限定しておられるってことは、その先があるの? という疑問がわいてきますが、それはまた、次の機会に!
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『大悟の法』
大川隆法著 |
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