ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ソ連って国がなくなって、ロシアになってからだいぶたつけど、ソ連が信奉してたマルクス主義思想って、宗教の立場からは、どう考えればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の科学原論②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 マルクスは1800年代後半の社会を見て、独自の経済主義理論をつくったわけですが、その1800年代後半の世界というのは、一部ブルジョワジー・資本家と、下部の人・搾取されている人たちとの乖離(かいり)がきわめて激しく、下部の人たちは鉱山の鉱夫などの労働者に象徴されるように、きわめて劣悪な労働条件下にあったのです。そして、この劣惑な労働条件下にある人びとを救いたいという彼の熱意が、その哲学理論を組み立てたところがありました。
 しかし、彼の思想におけるいちばんの欠落部分は何であったかというと、「生産性の向上」という概念、ここが欠けていたということです。マルクス的な考え方においては、ようするに単位時間に一人の人が生みだすもの、この価値というのはだいたい同一だとみているわけです。(中略)
 一人当たり、一時間当たりの生産性というものはきわめて違うものがあります。それは、事務労働をしても、人によって五倍、十倍のひらきがありますが、もっとそのなかに創造性が加わってくる仕事になると、生産性の差はさらに高まります。そして、一時間当たりの価値というのはきわめて違ってくるわけです。(中略)
 さらにいうならば、機械を使うことによる生産性の向上もあるわけです。機械文明の発達によって、一人当たりの生産性は飛躍的に増大しました。
 ですから、マルクスの『資本論』は、本来は資本主義社会において経済的没落、および階級闘争が起きるという予言であったにもかかわらず、実際マルクス理論が適合したのは農業国ばかりだったのです。社会主義革命はソ連であるとか、中国であるとか、東ヨーロッパであるとか、こうした農業国ばかりに起きました。それは彼の基本概念であるところの労働価値説、すなわち労働が生みだす価値、一時間の価値についての考え方が、まだ生産性の高まらない段階での人間の労働を前提にしていたからです。(中略)高度の資本主義社会、工業社会では適用できなかったということなのです。
 したがって、彼のユートピア建設という理想そのものは正しかったのですが、その学説の成り立ちの部分に、やはり根本的な違いがあったということで、彼も時代の子であるという限界は否めなかったということです。
(105~108ページ)

マルクスには、「生産性の向上」という概念が欠けていた。

1人当たり1時間当たりの生産性は、人によって五倍十倍のひらきがあるし、創造性が加わってくる仕事では、1時間当たりの価値というのはきわめて違ってくる。

だから、マルクス理論が適合したのは農業国ばかりで、高度の資本主義社会、工業社会には適用できなかった──。

このご論考は、1989年に刊行されたものでしたが、発刊後の1991年にソ連は崩壊しました。

それから30年以上の歳月を経て、大川隆法先生のお教えの正しさは、ますます輝きを増しているのではないでしょうか。

いまだにマルクス主義を奉じている人もいるわけですが、その誤りは、少しでも早くただされなければならないと、改めて強く私は思っているのです。

 


『幸福の科学原論②』

 大川隆法著

 

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