富を持つことって、いけないことだっていう宗教、多いでしょ。でも、ほんとうにそうなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄思考』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。
基本的な問題として、「弱者に優しい」ということ自体は構わないのです。弱者に対して優しい気持ちを持つことは結構です。
しかし、誰もが貧しくなり、弱くなっていく方向で社会をつくったら、結果的に全体が下がっていきます。そうなると、弱者が救えなくなります。社会に弱者を救うだけの力がなくなってくるのです。
「勤勉に働いたり、創意工夫をしたりして、大きな富をつくる人たちや、会社を経営して成功する人たちを、憎んだり、嫉妬したりする」というカルチャーをつくると、人々は、ほかの人から嫉妬されたり憎まれたりすることを嫌がり、富や成功を手に入れないようにしようとし始めます。「ほかの人と同じだったら、そう思われないで済む」と考えて、経済活動のレベルを下げるのです。
その結果、その社会は、低いレベルで、平準化、標準化してきます。「上」が努力をやめてレベルを下げてくると、「下」も下がったままなので、弱者を救う人がいなくなってしまうわけです。
国家の財政赤字は、こういう理由で起きてきます。税金を集めても、その使い方が悪いために、国を豊かにすることができません。国を豊かにする使い方ができないので、実は財政赤字になっているのです。
会社の場合も同じです。赤字は社長一人でもつくれます。
結局、勤勉で、富の創造を肯定する思想を持っていなければ、やはり、豊かにはなれないものなのです。これを間違わないようにしてください。
旧い宗教には、富について、悪のような言い方をしているものも多く、仏教も例外ではありません。仏教にもキリスト教にも、そういうことを言っているものが多いのです。
しかし、教祖が生きていた時代には、貨幣経済がそれほど発達していませんでしたし、原始教団は貧しかったことが多いので、当時の教えは、そのままでは現代の資本主義の世の中に当てはまりません。
そのため、旧い宗教には、「富は悪だ」というような言葉を、その言い訳に使っていることが多いのです。それを知らなければいけません。
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富が悪のような言い方をしている旧い宗教も多いが、教祖が生きていた時代には貨幣経済がそれほど発達していなかったし、原始教団は貧しかったことが多いことによる。
大きな富をつくる人たちや成功する人たちを、憎んだり嫉妬するカルチャーをつくると、人々は富や成功を手に入れないようにし始める結果、社会は低いレベルで平準化していき、弱者を救う人がいなくなってしまう。
勤勉で富の創造を肯定する思想を持っていなければ、やはり豊かにはなれない──。
大川隆法先生は、神仏の目から見て正しい思想を、この現代日本で、現代人にわかる言葉で、しかも現代にあった形で説いておられます。
その教えは、日本人だけに向けて説かれているわけではなく、世界の人々に向けて語られています。
大川隆法先生が海外で英語説法をされると、集まった聴衆にはその内容がきちんと伝わり、その場で幸福の科学に入会する人が続出しているのは、その証拠だと思います。
勤勉に働き、創意工夫などで大きな富をつくり、成功していくことを積極的に奨励する宗教が登場したことは、この日本だけでなく世界にとっても、大きな福音だと改めて私は思っているのです。
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『繁栄思考』
大川隆法著
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