邪馬台国って、どこにあったのかなあ。九州なのかな、それとも、畿内(奈良や大阪のあたり)だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『女性リーダー入門』(幸福の科学出版)で、まさにその邪馬台国の女王だった、卑弥呼の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。
私のいた時代の邪馬台国というのは、九州にございました。
私の時代には、まだ九州にありましたし、その前の天照様の時代には、九州でも、もう少し南に下った、今の宮崎県から熊本県辺り、高千穂地方を中心とした王国でした。それが、私の時代には、今の北九州に近づき、有明海の見える辺りに、邪馬台国はありました。
その次に、今の中国地方を通っての東征、いわゆる「神武東征」があったと言われています。要するに、当時は、古代の神々にも当たるような豪族が各地にたくさんいたわけですけれども、出雲の豪族を平らげ、それから、近畿地方に入って、そこの豪族を平らげて、大和朝廷ができたということですね。
その間には、さまざまな歴史的な事情が背景としてございましたけれども、私の時代は、中国および朝鮮半島との貿易もけっこう盛んに行っていて、それを、国力を富ます力の一つとしていたのです。ただ、さまざまな戦争もよく起きるようになってきていた時代で、朝鮮半島との関係は極めて厳しい情勢を迎えていました。
つまり、日本が優勢な時代と、向こうが優勢な時代の両方があって、当時も、今と同じような領土争いや、支配・被支配の関係が続いていたのです。
そのなかでの外交や内政についての悩みや苦しみは、象徴としての立場であっても、やはり、そうとうなものがございました。
私は、もちろん、天上界の天照大神様をはじめ、天御中主神様、伊邪那岐神様、その他、たくさんの神々からもご支援は受けておりましたが、当時はまだ、天上界においても、日本霊界の高天原の神々と、中国大陸の神々、あるいは朝鮮半島の神々との、霊界での勢力構図が固まっていない段階にあったので、地上において、そうした神々の勢力抗争の延長戦が行われていたと思われます。
まあ、そういう非常に難しい時代でございました。
敵がけっこう多かったのです。九州だけでも、おそらく……、うーん、どうでしょうか。九州と中国地方の西部辺りまで含めて、おそらく三十カ国近くが乱立していたと思うのですが、それを統一しようという努力で、かなりの血が流れましたし、苦労もしたように思います。
当時の苦労は、女性としては大変なものでした。私のような者の名前が遺っているということ自体が不思議なことですが、たまたま、古文書とか、金印とか、そのような考古学的な物件があるために、名前が遺っているのでしょう。
けれども、実際は、政権をめぐって、いろいろなところがその正統性を主張していました。私のほうは、天照様の系統を引く正統政権であることを主張しておりましたが、出雲のほうは出雲のほうで、非常に強い神様がいたので、自分たちのほうが正統であると主張していました。(中略)
また、朝鮮半島から攻めてくるものがあり、外交上の危機もあったということですね。そういう意味で、非常に厳しい時代であったと思います。
(26~30ページ)
卑弥呼の時代の邪馬台国は、九州にあった。
その前の天照大神の時代には、九州でも、もう少し南に下った高千穂地方を中心とした王国だったが、卑弥呼の時代には、北九州に近づき、有明海の見える辺りにあった。
次には、東征が行なわれ、出雲の豪族を平らげ、それから近畿地方の豪族を平らげて、大和朝廷ができた──。
邪馬台国がどこにあったかについては、一度、『黄金の法』の教えをご紹介したことがありました。
いずれにしても、卑弥呼その人が、ロマンあふれる古代史の真相を語っている。この驚きの事実を、一人でも多くの人に、知っていただきたいものだと私は願っているのです。
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『女性リーダー入門』
大川隆法著 |
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