なんだかむずかしそうな話だけど、「縁起の思想」って、どう考えたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
人間をとりまく世界には、三次元世界とあの世の世界、この二つの世界があります。あの世の世界は「実在界」ともいわれますが、人間は、実在界に本籍を置いておきながら、時々、この世に生まれ変わってきて、そして魂修行をしてはあの世に還る、こういう転生輪廻をくり返しているわけです。そして、この転生輪廻の過程のなかに、縁起の法則が一本きっちりと入っている、ということを教えているわけです。どのような人間であっても、この縁起の理法から逃れることはできません。(中略)
人間として生まれ、さまざまな諸条件のもとに育っていき、その結果、来世、行くべきところが違ってきます。地獄に行く人もいます。地獄にも非常に多くの種類があります。(中略)百や二百というものではなくて、ほんとうは何千種類、何万種類とあります。
その人の心のあり方だけ、間違った心のあり方だけの地獄があります。その間違った心を持つ人が出たら、その人一人だけの地獄でも充分つくれます。また、数が集まれば、大勢でその同じ地獄をつくっていきます。すべてが、そうした法則のもとにあるということなのです。(中略)
魂の法則があるのです。魂がどういうことを経験すれば、より仏に近い方向であり、どういうことを経験すれば、より地獄に近い方向であるかということは、もうはっきりと決まっているのです。
そういう一定の法則が決まっているなかにおいて、今世の数十年を生きているときに、人間は自由意志でもって選択行動を起こします。何を選ぶか、それについては完全な自由が許されております。
もちろん、地球に住んでいるということ、人間という生物であること、あるいは人間である以上、食べないと生きていけないということ、また、他の人間関係のなかに置かれているということ、そのように条件づけられた存在であることは事実ですけれども、その一定の条件のもとで、自由に考え行動することができるのです。
たとえば、誰だって、本気でその気になれば、人の一人ぐらいは殺すことが可能でしょう。それは可能だろうと思います。しかし現実には、そうしようとはしません。それは、「そういうことは、してはいけない」というブレーキが心にかかるからです。(中略)
それが、転生輪廻の過程で学んできた「善とは何か」という知識であるわけです。それが、魂のなかに熏習されてしみ込んでいるわけです。
人間は魂のなかに、してよいことと悪いことというものを、転生輪廻の過程で得た智慧として、ある程度、蓄えております。幼いうちはわかりませんけれども、人から教えを聞いたり、教科書で学んだりするうちに、そのルールが守れるようになります。それは現実に、心のなかに、すでにかなりの部分が蓄えられているからです。それが、その部分を指摘されることによって目覚めるのです。(中略)
そして、自分で選び取っていった結果について、来世の責任が生じる――これが人生修行における縁起の思想であるわけです。この流れから誰一人逃れることはできないわけです。
(36~41ページ)
人間は、あの世からこの世に、ときどき生まれ変わってきて、魂修行をしてはあの世に還る転生輪廻をくり返しているが、その過程に「縁起の法則」がきっちりと入っている。
魂がどういうことを経験すれば、より仏に近い方向であり、どういうことを経験すれば、より地獄に近い方向であるかは、はっきりと決まっている。
人間は、今世を生きているときに何を選ぶかについては完全な自由が許されている。そして、自分で選び取っていった結果について来世の責任が生じるというのが、人生修行における「縁起の思想」である──。
どんな高い学歴があっても、ものすごいお金持ちであっても、身分や地位がある成功者であったとしても、誰一人、この「縁起の法則」から逃れることができないという考え方。
この思想は、仏の眼からはでたらめな生き方をしていると自覚している方にとっては、とても怖い話です。
でも逆に、いっしょうけんめい信仰の道を歩んでいる人にとっては、大いなる福音だと思います。
仏が教えて下さっている、この世を貫く真実に目をつぶることなく、今世を生ききって行きたいものだと私は思っているのです。
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『心の挑戦』
大川隆法著 |
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