「カルマ」って言葉を聞くことがあるんだけど、それって何なの? って疑問持ってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(上)』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。
「業」(カルマ)という言葉は、聞くことがよくあると思います。結局、人間として生まれて、生きて、死んでいくまでの間につくってきた傾向性を「業」と言うのです。それは傾向性であるがゆえに、いったんできあがってしまうと、それに基づいて、新たな念いや新たな行動というものが起きてくるのです。みずからが生み出した魂の傾向性ではあるが、いったんできた以上、それに基づいて自分の念いや行動まで左右されていくようになります。そのようなもののことを「業」と言うのです。
実は、「業」のところをあれこれと分析して、人間としての本当のあり方、生き方とはどういうものかを教えているのが宗教なのです。そして、宗教が道徳にとどまらないところは、来世との関わりにおいて今世の生き方を教えているところなのです。来世と今世との関係を説明しながら、人間の生き方を追究する、そこに宗教としての本来の姿があるわけです。
これは、哲学や道徳、あるいは医学などでは教えてくれないところです。本来、宗教とは、そのような総合学であって、総合的な人間学であり、天地万物すべてのなかを生き抜いていく人間の生き方を教える学問でもあったわけなのです。
「十二因縁(じゅうにいんねん)」という考え方は、仏教を学ぶ方は、必ずどこかで目にしたことがあるでしょうし、聞いたことがあるでしょう。十二個もあるので、たいていは覚えきれなくて四苦八苦するというのが普通のようです。確かに、覚えられないものだろうと思います。その理由は、もともと釈迦がつくったものではないからです。後世の研究熱心な弟子たちが、「もっと分析できないか、もっと分解できないか」と十二個まで増やしていったというのが真相なのです。
(207~208ページ)
梵語(ぼんご、サンスクリット)の「カルマ」という言葉が、中国で「業(ごう)」と翻訳されて、仏教用語になってるんですよね。
でも、仏教の本とか読んでみると、「十二因縁」とかなんとか、複雑でややこしくて何がなんだか分からない。
大川隆法先生はこれを、「魂の傾向性」なのだって、スパッと教えて下さってます。転生を繰り返していくなかで、できていく魂の傾向性が、「カルマ」なんだ、と。
そうすると、過去に転生した人生がたくさんあって、いまこの世に生まれてきた自分がいる。この魂は、その転生のプロセスの積み重ねで、一定の傾向性、いい面と悪い面を持っている。
だから、いま現在与えられた環境のなかで最大限の努力をして、悪い面は修正をかけて、よい面を伸ばすように生きていくこと。
それこそが今世の幸福であるし、すなわちそれは来世の幸福にもつながっていくと教えていただいてるのだと私は思うのです。
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『悟りの挑戦(上)』
大川隆法著 |
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