なんで裏切られなきゃいけないんだろう。自分はあの人に、あんなに手取り足取り教えてあげたのに。あの恩知らず、どうしてくれよう。・・・なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
こうしたとき、人間はどうしても、「裏切られた。あいつにしてやられた」という思いを持ちます。
そうした感情がなぜ起きるのかといえば、「ギブ・アンド:アイク」という考え方が忍び込んできていることが原因です。「与えたら、与え返してくれるものだ」という期待感や、「自分がほめた人は、自分になついてくれるものだ」という考えを、無意識のうちに持っているのです。
したがって、与えきりの気持ちを出していくことが必要です。すなわち、「人に好意を与えるときには、見返りを求めない。一方的に与え、しかも、与えたことを忘れてしまう」ということです。
「自分が相手に与えたことは忘れずにいて、相手が自分に与えてくれたことは忘れる」というところから、人生の不幸が始まります。「私はこれだけしてやったのに、相手は何もしてくれなかった」という思いが、不幸の出発点なのです。
「私はこれだけしてやったのに、愛してやったのに、よくしてやったのに、相手からのお返しがない。私の恩が分かっていない」
たいていはこのように考えるものですが、この「してやった」という気持ちのなかには、一種の人格的未熱さがあることに気づかなくてはなりません。あげるときには、〝ただ″であげることが大切なのです。
特に心の問題はそうです。優しさや気遣いなど、人への愛は与えきりであり、一方通行だと思ってください。もし愛が返ってきたならば、「得をした」と思えばよいのです。
お返しをもらおうと考えてはいけません。とにかく与えきり、人にしてあげたことはすぐに忘れることです。しかし、人からしてもらったことは、いつまでも覚えていて、感謝をしていくことです。
世の中に恩知らずの数は尽きないのです。その恩知らずのなかには、ほかならぬ自分自身も入っていることを忘れてはいけません。
「私は自分の力で道を切り開いてきた」と思っても、その途中においては、さまざまな人の恩恵に浴していることも事実でしょう。自分の受けた恩を、両親、先生、友人、会社の上司や同僚などの温かい愛を、忘れているのです。
そして、「人は私に何もしてくれなかった」「あれだけしてあげたのに、飼い犬に手をかまれた」などという発言になってきます。
「他人にしてあげたことを覚えている人ほど、自分が他人からしてもらったことを忘れやすい」という現実があるのです。
(215~217ページ)
恩知らずなんていうけど、実は自分もその一人なんじゃないのかな。
自分はどれだけ、他の人の恩を覚えているだろうか。
むしろ忘れてる方が多いんじゃないのかな。
だとしたら、自分がしてあげたことを忘れてる人を非難するのはやめなくちゃ。
誰かに何かをしてあげるときは、ただであげること。
してあげたことはさっさと忘れること。
逆に、誰かにしてもらったことは、できるだけ覚えておいて、感謝していくこと。
それが幸福な人生を生き抜いていくための大事なコツであることを、今日は教えていただいたのだと私は思うのです。
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『不動心』
大川隆法著 |
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