学校に行くと、なんだか悪霊の影響を受けてる人がたくさんいる気がする。電車に乗っても、職場に行っても、悪霊の影響を激しく受けてる人が、わざわざ近くに寄ってくる気がする。間違った心で生きてる人ばかりの気がする。そんなふうに感じる自分って、性格が悪くなったのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への方法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
幸福の科学で勉強している人も、おそらく普通の人よりもはるかに感受性が強くなっているだろうと思います。そのため、悪霊の波動などをずいぶん感じるようになっているでしょう。「どうしてこれほど、嫌なことがよく分かるのかな」と悩むことも、おそらくあるだろうと思います。
しかし、そうした悩みのときに、あることを私は思いつきました。それは「腕が上がると、拙いもの、お粗末なものも、よく分かるようになってくる」ということなのです。
絵でもそうです。自分が絵の勉強をして、だんだん上達していくと、初心者の絵を見れば、どこが悪いかがすぐ分かるのです。自分よりはるかに上手な人の絵は、どの程度うまいか分かりませんが、初心者のかいた絵であれば、配色のここが悪い、デッサンのここが悪いといったことが、すぐ分かるようになります。それと同じようなものです。
絵の専門家ではない人ならば、素人がかいた絵を見ても、「まあ、きれいな絵」ということですみます。ところが、絵を専門に習った画家から見ると、「この絵はほんとうにバランスが悪い。この色が悪いし、光の当たり方もおかしい」などと、悪いところにすぐ気づくのです。
そして、それをそのままボンボンと言ったならば、絵をかいた本人は顔をしかめて、「なんて嫌な人だろう」と思うでしょう。また、その素人絵をほめていた人も、「世の中には嫌な人がいるものだ。こんなに揚げ足ばかりとって」と言うでしょう。
しかし、絵の欠点が目につくのは、その画家の性格が悪いわけではありません。その人に実力があるから、パッと見ただけで、その絵の悪いところがほんとうに分かってしまうのです。
ただ、それをそのまま口にした場合に、その反応を見て、自分の性格がよほど悪くなったような気がするだけなのです。
同じように、霊的な眼が開けると、悪霊がたくさん憑いている人の悪いところがよく見えるのです。普通の人が見えないものほど、見えたり感じたりします。そのため、霊的な眼が開けると、「自分はどうして、こんなに悪い性格になったのだろうか」と悩む時期が、だれにでもあるのです。(中略)
したがって、みなさんが仏法真理を勉強して、心の段階が上がれば上がるほど、普通の人よりもはるかに、いろいろな人の心の間違いに気がつくようになります。
また、心の統制がとれていない人と会うと、非常に不愉快な思いをしたりすることもあります。
ただ、そのときに、迷ったり、自分をあまり疑ったりしてはいけません。「これはいま自分の実力が上がっているのだ」ということを知らなくてはいけないのです。
(112~117ページ)
心の修行が進むと、以前には気がつかなくて平気だったことが、敏感に感じとれるようになってきて、とても苦しい思いをすることがある。
でも、それは自分の修行が進み、心境が上がろうとしているからだと知らなくてはならない──。
そして、本当に心境が上がりきったときには、そんなことが気にならなくなって、大きな気持ちで受け止め、乗り越えることができる段階が来るのだろうと私は思っているのです。
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『幸福への方法』
大川隆法著 |
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