本来は地中で生活する蚯蚓だが、夏になると路上に干からびているのを見ることがある。作者はそんな痛々しい蚯蚓をしゃがんで見ている。太陽がそうしたのだと思いながら「畏れつつ」と、太陽の恩恵で生きられていることに感謝もしている。その感謝は絶命の蚯蚓にも注がれての二物衝撃の句なのだろう。蚯蚓は遙か昔エジプトのアリストテレスが言及していたように、何千も昔から農地の肥沃化をおこなっている。進化論のチャールズ・ダーウィンは、「地球上のすべての土壌は、ミミズの腸を通過したものだろう」と賞している。人目に触れないところで人間の食を支え続けてきたのだ。蚯蚓は皮膚呼吸で呼吸器が無いため、土が太陽光で熱くなった時、体温調節のために必死で地上にはい出てしまい生命を落とすことになる。目にした干からびた蚯蚓を介して地中の蚯蚓にも「ありがとう。というタイミングはここしかないのだなぁ」と思った句だった。どちらにも敬意を込めて拝礼。(博子)