先日、とある古本屋で立ち読みした某「トレーン」誌の過去号に、
面白い機関車の記事を見つけたのでご紹介します。
その機関車とは、国鉄上溝駅から相模原空港へと延びていた、
「相模原空港輸送(Sagamihara Airport Service)鉄道」の通称“B0-B0 NO.5"のことです。
同車は、戦後すぐにアメリカ軍が持ち込んだディーゼル機関車を改造して、
電気機関車に改造したものだと考えられていますが、
その素性は明らかにされていません。
相模原空港に第2滑走路の建設が決まり、周辺の田園地帯を整地していた際、
地下に埋まっていたところを“発掘”されたのだそうです。
辛うじて読み取れた「No.5」の文字だけが、この機関車について判明する全ての情報。
とりあえず、一旦は国鉄に引き取られ、各種検査や試験をされた後、
相模原空港輸送線で貨物輸送に活躍するようになったのでした。
同車の軸配置(B0-B0)から、「B0-B0型 NO.5」という形式名が与えられた同機ですが、
その外見は実に特徴的なものでした。
あまりに長い間地下に居続けたため、その車体は退化し、
窓という窓は車体と一体化して判別が付かなくなってしまっています。
本来は平らであったであろうひさしも垂れ下がり、
乗務員ドアもあるのかどうかが良くわからないという有様です。
正面から見るとなんとなく「ブルドック」を連想する顔で、
いつしか沿線から「魔人ブル」なんてあだ名で呼ばれるようになりました。
主として空港~上溝、橋本方面の貨物列車に立って活躍していた同機、
非パンタ側にはヘッドライトの類が一切付いていません。
これは、同機が“燃料車”と常に対になって働いていたからであろうと推測されています。
というのは、検査の結果、ディーゼルエンジンだとリッター250m程しか走れなかったということが判明し、
車内のタンクだけだと1kmも走れないという事がわかったからです。
相方は未だ土の中に眠っているのか、本国へ持っていかれたのかはわかりませんが、
相方がみつからない以上、単機で運用するほかはありません。
そこで、ボンネット側に簡易的な運転機器を設け、乗務員がこちら側に座って運転する方式が採られました。
さすがに、国鉄線内をこの格好で走るのは許可が下りなかったようで、
単機で貨物列車を引っ張って橋本まで行き、
帰りは相模線の貨物列車にくっついて上溝駅まで戻ってくるという運用が組まれていました。
その姿はまるで、脱走した犬が飼い主に連れ戻されるようだったといいます。
ちなみに、「魔人ブル」というあだ名は沿線の小学生から広まったそうです。
昼休み、角の向こうから、独特な「ぶぉー」という警笛が聞こえてくると、
子供たちは校庭の脇を走るブルに向かって、思い思いに「げんきだま!」と叫んでいたといいます。
ここから記事には、同線の美しい沿線風景などが紹介されていました。
その後、沿線の宅地化が進み空港が住民達の「頭痛の種」となったことから、
80年代の中頃に立川飛行場に統合される形でその役目を終え、
跡地がショッピングセンターとなったのは、皆さんもご存知かと思います。
また、同線はいつしか住宅街の中を走る何の変哲も無い専用線となっており、
国鉄貨物輸送の整理により、他の貨物専用鉄道達と運命を共にしたといいます。
同車は、空港跡地のショッピンセンター建設に際して、
かつての空港の滑走路脇にあった沼を埋め立てるために、沼の中に沈められました。
…その後、ショッピングセンターの周辺の住宅地では時々
どこからともなく、独特な「ぶぉー」という警笛の音が聴こえてくるようになったそう。
その音が聴こえると、住民達は「あぁ、またブルが脱走したな」と笑い、
また大人になった当時の子供たちは、心の中で「げんきだまー!」と叫び、
昔走っていた奇特な機関車を偲ぶのだそうです。
…てな具合に、
アメリカザリガニに物語をつけてみました(y^^y
あくまで架空のネタなんで。そこら辺を理解した上で読んでくださいな。
形式名は、「きかんしゃトーマス」の中で
軸配置が「B0-C0」の機関車を「ボコ」って名前で呼んでたのを思い出したから。
でも、絶対に「B0-B0」をカタカナ読みしちゃダメですよ~(^-^;
ちなみに、会社名が「SAS」なのも
車両名が「B0-B0 No.5」なのも
サザンオールスターズの曲名から持ってきたネタなのでした(^^ゞ
長文になったので、この辺で~
ばいっ(^-^ノシ