エロ映画と呼んでいた。
笠岡では金星劇場。
福山では御船町の映画館(大黒座の斜め向かい側)。
街中にある映画館のポスターでも、エロ映画のポスターは目を引いた。
どのエロ映画も、女性の肉体をおおげさに表現していた。
特に笠岡のスサキ通りのスサキ橋手前の、金星劇場のポスターは目立った。
人の行き来が多く、大人も、子どもも、みんな目にはいる。それが、笠岡に限らず当時の町の風景だった。
(最初)
エロ映画
高校卒業した春に、初めてエロ映画を見に映画館に入った。
映画は白黒映画だった。
それが、途中何回かカラー映画に切り換わる。
切り換わる時は、同時に音楽がいやらしい音や声に変るので、寝ていても気がつく。
ポスターといやらしい音で勝負する映画で、
見終えて、あほらしさだけが残った。
(二度目)
日活ロマンポルノ
日活は普通の映画を止めて、”ロマンポルノ”と自称するエロ映画をつくりだし、一定の人気を得ていた。
題名は忘れたが、歌手・五月みどりが主演の映画を見にいった。
オールカラーで、エロ映画と違うのは、役者や脚本が少しよかった。
(三度目)
飛び出すポルノ
同僚3人で町を飲み歩いていたら、
”オールナイト”で”飛び出すポルノ”の映画館があった。
酔った勢いで入ったら、
そこで左右色違いの、色メガネを渡された。
これは楽しみじゃ、
とイスに座って眼鏡を掛けると、
スクリーンから立体ポルノが飛び出すどころか、
二重三重に見えて、画面不明
しかも目が痛い。
20~30分居てから映画館を出た。
サッパリだった。
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「失われゆく仕事の図鑑」 永井良和他 グラフィック社 2020年発行
成人映画館
1960年代、テレビ時代の到来で映画会社が潰れ、多くの映画館が成人映画に切り替わった。
新東宝映画が1961年に倒産、
多数のスタッフや映画館チェーンが宙に浮き、
翌年そんな彼らによって製作、公開された「肉体市場」がその第一作とされる。
やがて1971年には日活が「ロマンポルノ」へ舵を切る。
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