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『永遠の0』その13(三男坊の道)

2015年07月11日 | O60→70(オーバー70歳)
【283~.285ページ】
「その後間もなく、父が相場に手を出して、店は潰れました。大きな借金をして家は破産しました。父は債権者に死んでお詫びすると言って首をくくりました」
わたしはえらいことを聞いたと思いました。しかし宮部さんは淡々と語りました。
「後に残されたものは大変でした。私は中学を中退しましたが、母は病気になり、まもなく亡くなりました。たった半年で、私は天涯孤独の身になりました。金もなく、身寄りもなく、頼る親戚もないみの上で、何をしていいのかわからず、海軍に志願しました」---
宮部さんも同じなんやなぁと思いました。海軍の下士官いうのはたいてい農家の口減らしで入ってきた連中です。農家の次男坊以下に生まれたもんは、都会に丁稚奉公に行くか、軍隊に入るしか生きる道はなかったんです。中学へ行けるのはほんの一握りの子供だけでした。実は海軍兵学校の生徒も裕福でない家が多かったのです。兵学校は授業料がなかったんで、高等学校には行かれへん優秀な子供が大勢兵学校に行きました。あの頃、日本は本当に貧しかったんです。今からは想像もできないほどの階級社会だったんですわ。---
こういうわたし自身、もともとは小作農家の三男坊です。尋常小学校を卒業して地元の醤油工場に行きましたが、その工場が潰れて行くところがなくなり、海軍に志願したんです。今の人たちからは想像もつかんことでしょうが、私らは喰うために海軍に入ったんです。---
「専門棋士になるためには10代の頃に、どれだけ多くのものを身につけるかにかかっています。私はそれができませんでした。私はもう23です。仮に今、戦争が終わって、これから死ぬほど頑張っても、専門棋士にはなれません」

〔ken〕私も三男坊なので、実家を出ることは覚悟していましたが、戦前とは厳しさが段違いであると再認識しました。昭和20年代後半~30年代の農村は、それなりに貧しかったわけでが、それもまた戦前に比べれば次元が異なりますね。「喰うために海軍に入った」という言葉は、リアルな響きとして心に沁みました。
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