息をするように本を読む

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と、なんだかだらだら日常のことなども

春は昔──徳川宗家に生まれて

2013-03-11 10:41:57 | 著者名 ま行
松平豊子 著

徳川家の最後の将軍は言わずと知れた慶喜だ。
彼が大政奉還をし、将軍家が終わりを迎えたとき、
徳川家を継いだのが田安家に生まれた家達である。

著者は家達の子・家正の長女として生まれた生粋のお姫様だ。
祖母の発言力が強い家で究極の箱入り娘として育ちながら、
強い意志と行動力をもち、自ら希望して大使である父の赴任先・カナダへと向かう。1929年のことだ。外国が果てしなく遠かった時代である。

といってもただの遊学や旅行ではない。
現地で社交界に正式デビューし、上流階級の人々と臆することなく集う。
決して日本では許されないであろう夜遊びやデートも経験し、
当時の女性には想像もできないような華やかな青春を送った。

そして会津松平分家の一郎氏と結婚。
一郎の父は駐米大使・駐英大使を歴任 、戦後の初代参議院議長。
母は鍋島家の出で、姉が梨本宮妃伊都子。
しかも一郎の妹は秩父宮妃勢津子というそうそうたる家である。
菊と葵のものがたり』に5歳のエリザベス女王のご挨拶のエピソードが
あるが、そこに出てくる“ジロちゃん”は一郎の弟である。

銀行員の常で転勤に次ぐ転勤。それもエリートだから海外が多い。
どこに出ても困らないお嬢様とはいえ、知らない土地での暮らしは
大変だったはず。しかしきらびやかな表舞台でも動じない豊子は
同様に逆境でもたくましく乗り越える力をもつ女性だった。

それは戦争で御殿場へ疎開しているときの日記に顕著に現れている。
数多くの人にかしずかれた育った人が何もかも自分の手でするばかりか、
食料確保のために農業までしている。

疎開日記では義妹となる秩父宮妃が、不自由な疎開生活を送る著者に
なにくれと心を配り、著者もそれに応える、ほのぼのとした交流が描かれる。
多くの素晴らしい人脈に恵まれ、不自由な時代にも恩恵を受ける反面、
ノブレス・オブリージュとして、大変なことも多かったようだ。
疲れ果て難民同然で帰国した直後の記者会見、ささやかなおつきあいにも
贈り物や当時としては高額の現金を包んでいる。

ひとりの女性の記録というよりは、大正から昭和の歴史の物語だ。
東西の文化を自分の目で見、経験したからこそ書ける内容はとても興味深い。
そして美しい言葉使いや言い回しも素敵。
たとえば「連中」という言葉は現在と違い、いい意味で使われていたようで、
そんな小さな発見も楽しめた。