哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

梅原 猛さん

2006-03-23 21:52:28 | 知識人
 新聞連載されていた梅原猛さんの「反時代的蜜語」が先日最終回となりました。梅原猛さんもこの3月20日で81歳になられたそうです。

 そんなお年にもかかわらず、これからの梅原さんの課題は、「日本語の起源」の問題と、「人類の哲学」の構想の2つとのことです。

 前者について、日本人が土着の縄文人と渡来の弥生人との混血によって形成されたのが自然人類学的に明らかだそうで、渡来人が支配者になったので、日本語は古代朝鮮語的な文法になったそうです。ただ、土着人の言語(例:アイヌ語)も強く残っていると言います。

 後者については、人類の農業文明以降の歴史の道は滅亡への道かもしれないから、人類を末永く生き永らえさせるために、人類の運命を狩猟採集時代にまでさかのぼって考える哲学が必要であると言います。



 前者については個別的な歴史研究のようですが、後者については普遍的な哲学を構築したいということでしょうか。しかし一体どんな哲学なんでしょう。狩猟採集時代にさかのぼって考えた哲学とは?

 そもそも人類を滅亡させないため、という目的が「哲学」の目的たりえるのか。池田さん(やソクラテス?)がよく指摘するのは、「長く生きる」ことに価値はなく、「善く生きる」ことこそ価値があるということでした。逆に言えば、「善く生きる」ことができないならば、何ら「長く生きる」理由もないということでしょう。それは人類規模でも同じと思います。人類も「善く生きる」ことによって、生き永らえることができるのかも知れませんが、それでも決して生き永らえることを目的にはできないでしょう。人類の運命は恐竜と同じかも知れないのですから。