哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

ローマの休日(日本人へ・百九)

2012-05-28 21:12:00 | 時事
今月の文藝春秋の塩野七生さんの連載の中で、平和について少し言及があった。


「平和くらい、人間世界にとって重要なものはない。だが、それだからこそ、困難を極めるものもない。平和はあまりにも重要事ゆえに、唱えるだけで実現すると信じているお気軽な平和主義者にまかせてはおけないと思っている私だが、その平和の実現には、戦争よりも段違いの冷徹さが求められるのだ。」(文藝春秋六月号P.92)


平和の実現には戦争の時よりも冷徹さが必要だというのは、パックス・ロマーナを築いた有能なローマ皇帝を念頭に置いているのだろう。確かに平和を唱えていれば平和になるというような単純なものではないことは当然ながら、今や国連の平和維持軍という軍隊であっても平穏さえも維持できないという事態も発生している状況だ。平和は人類の永遠の理想だが、理想の実現は困難である。しかし、理想は語られなければならない。池田晶子さんの文章を引用しよう。


「現実離れした理想論だということは、それを現実に合わせて変えることの理由にはならない。理想というのは、現実離れしていることで理想なのだということを、あれらの人々はわかっていない。なるほど、現実の国際社会において政治道徳が普遍的だなど、誰も思っていやしない。たとえばイスラム過激派なら、自分たちの正義のために永遠に闘うと誓う。しかし、「自分たちの」正義とは、そも正義ではない、正義というのは誰にでも正義であることで正義なのだ、こう指摘し続けることが、理想というものの存在機能なのである。
プラトンの理想国、あんなものが「現実に」存在するわけがない。字義通りの理想としてのみ存在する。まさにそのことによってあれは明らかに現実なのだということを、ほとんど人は理解しない。さほどにまで深く、人は理想と現実とを別物だと思い込んでいる。もしそうなら、人が何事かを言語によって語り出す理由など、あるはずもないではないか。」(『考える日々』「おっしゃる通り、理想論です」より)



平和を唱えるだけで実現すると信じることと、理想を語ることとは全く異なることを理解したい。