哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

似るということ

2013-01-21 23:30:23 | 時事
書類を整理していたら、古い新聞記事が出てきて、冒頭に『正法眼蔵随聞記』の一節が紹介されていた。それは、「霧の中を歩けば、知らないうちに、衣が濡れる。それと同じように、立派な人に近づき接していると、知らない間に、立派な人になる。」というものだ。

確かに、どういう人と交流しているかにより、その人物を見定めるというようなことも、ビジネスの世界などでよく言われる。つまり、衣が濡れるのも、良い意味と悪い意味と両方あるというわけだ。「朱も交われば赤くなる」という言葉も、同様の意味だろう。

かつて警察官が暴力団と間違われて射殺された事件があったが、暴力団対策の警察官はなぜか暴力団員風の風体になってしまう。暴力団に舐められないようにするためだと聞いたことがあるが、しかしそのあまりにも似た雰囲気は、自然にそうなっていってもおかしくないと思わせる。

ところで、 実は以前に読んだ『寅さんとイエス』の一節にも、対象と似てくるという意味の話があった。
「自己にとって最も価値あるもの、大切なものを愛情込めて見つめていると、取るに足りない自分自身もおのずからにその価値あるものに類似してくる。・・・・キリスト教を一言で言えば、神倣いの宗教である。神に倣うこと、神を見つめることによって、人間が神に似た者となってゆく。」(『寅さんとイエス』P.173)

確かにキリスト教は、聖書からキリストの言葉を神の言葉として倣い、神のごとく生きようとするのであろう。そうであれば、自らが見るもの、価値あると思うものに似るということは、書物を通じても同じことが起こるように思える。池田晶子さんが、ソクラテスのように、あるいは小林秀雄氏のように語り得たのは、まさに書物からの神倣いのようではないか。