今回は以前の日めくり池田晶子4と同じ内容であり、同5のすぐ前に位置する文章である。ちょっと独立して取り上げにくい文章であったのだが、何と言っても池田晶子さんらしい倒錯表現の代表例といえるので、あえて取り上げた。
40 戦争という最も観念的な出来事においてこそ、かくまで現実的なことを言うことに意味があるのだ
池田某が日本人であるのであって、「私」が日本人であるのではない。「私」は、どの国家どの民族にも属さない。絶対自由の唯一者である。(戦争という現実的な出来事においても そんな観念的なこと言ってられるかどうか)むろん言えます、当たり前です。そうでなければ、どうしてわざわざこんな妙なこと言い出したりするものですか。(『残酷人生論』「アイデンティティーの錯覚」より)
40 戦争という最も観念的な出来事においてこそ、かくまで現実的なことを言うことに意味があるのだ
池田某が日本人であるのであって、「私」が日本人であるのではない。「私」は、どの国家どの民族にも属さない。絶対自由の唯一者である。(戦争という現実的な出来事においても そんな観念的なこと言ってられるかどうか)むろん言えます、当たり前です。そうでなければ、どうしてわざわざこんな妙なこと言い出したりするものですか。(『残酷人生論』「アイデンティティーの錯覚」より)