哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

国家機密と取材の自由

2006-05-06 10:25:35 | 時事
万歳!映画パラダイス~京都ほろ酔い日記「情を通じ」の西山事件とペンタゴンペーパーズ


 今週はGWで週刊誌は休みですので、気になるサイトからの話題です。上記リンク先は、ワイン日記を一杯書いている方経由で知ったサイトですが、京都の私大でマスコミ論を講義しているそうで、今回1回分の講義がまるまる掲載されていて、内容も非常におもしろいと思いました。

 話題にしているのは最高裁の有名判例で、有斐閣の憲法判例百選Ⅰにも掲載されている外務省秘密電文漏洩事件です。テーマはその判例百選にある題名通り、国家機密と取材の自由のいずれを優先するかというもので、最高裁は取材の方法が公序良俗に反するとして、記者を有罪としました。


 取材の自由は過去の最高裁判例でも、憲法21条(表現の自由)の精神に照らし尊重に値するとされています。しかし国家機密(国民を欺くような)を公序良俗に反する取材方法で得た場合、これを機密漏洩で罰すべきか、国民の利益に資するとして取材の自由を保護すべきか、難しい問題となります。

 上記サイトの著者は記者出身ということもあってか、記者側を擁護していますが、ポイントとなる文を以下に少し要約しつつ引用させていただきます。

「この事件に関し、3つの見解が(著者には)ある。第一はまず、政府というものは自分にとって都合の悪い真実を隠す本性があり、それを嗅ぎつけ暴こうとする記者と政府内協力者なしには、秘密は暴けないということ。第二は、西山記者が毎日新聞の紙面で正々堂々と紙面で勝負せず、政争の道具にしてしまい、報道の目的から外れた使い方をしたということ。第三は、個人的見解だが、役人と情を通じ性的な関係を結んで、情報を取ること自体何も悪くないということ。手段は本来問われるべきではなく、国民にとって有益な情報が得られれば、それは社会にとってきわめて健全な話になる。」



 さて、以上の著者の見解について、どう考えることができるでしょうか。

 最もひっかかるのは、第三の点かと思います。国民の利益に資するとすれば、本当に手段・方法は全く問われるべきではないのかどうか。機密漏洩自体の犯罪性は脇に置いといて、例えば窃盗、強盗(場合によって殺人になったり)などの犯罪行為での機密情報獲得であれば、手段・方法自体が犯罪ですから問われるべき行為でしょうし、上記著者見解もそこまで許容する趣旨ではないのだろうと推測します。

 問題は、犯罪としての構成要件にはならないが、公序良俗に反すると思われる手段・方法であるような事態が発生した場合に、我々一人一人がこの事件に対していかなる態度をとるか、です。


 池田さん的に言えば、善いことは善いし、悪いことは悪い、善い・悪いは法律に決めてもらうことではなく、既に私たちの内面に知られています。記者の公序良俗違反とされる行為は、たとえ国家機密を暴くためであっても、それが我々の内面に照らして、悪い行為としてしか受け入れられなければ、やはり公序良俗違反の判断も肯定せざるを得ないと思います。

 国民と国家の関係やジャーナリズムの役割を考えた場合に、上記著者の見解を支持する場合もありうるのかもしれませんが、私個人としては記者の行為を端的には肯定しかねるのが正直なところです。