哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

戦場ジャーナリストの死

2012-09-11 07:21:51 | 時事
シリアで起きた、日本人の戦場ジャーナリストが殺された事件について、報道も一区切りついたのか、あまりメディアで関連ニュースを見ることも少なくなった。

当時の報道によると、シリア政府軍は外国人記者を標的にすると決定したといい、しかも残された映像についての報道によれば、政府軍の案内役らしき男性が「日本人だ!」と叫んだ途端に発砲されたそうだ。流れ弾とかではなく、まさに狙われて殺されたということだという。今年においてもシリアでの外国人ジャーナリストの死亡が相次いでいるそうだから、その危険度は半端ないものなのだろう。

シリア情勢について、もっとも無念に思うのは、国連が期待された役割を果たせなかったことだ。その原因は、安保理での大国の足並みが不揃いであることから発しているが、シリアに関する決議について拒否権を発動したロシアと中国について一方的に非難すればよいという話ではない。ただ、国連は平和のための機関であるものの、1国の内戦がエスカレートするまま止められない現状によって、所詮そんな程度でしかなかったと思わざるをえない。果たして人類は進歩しているのか。


国際政治について池田晶子さんは「他人事」のように語るが(「他人事の最たるもの-国際政治」『41歳からの哲学』)、一方で9.11テロ直後にアメリカに渡ろうとする友人夫婦の話を紹介しながら、次のようにも書いている。


「彼らにとっては、世界とは自分なのである。全人類が自分なのである。だから、そこで何かが動いている、何かが変わろうとしているなら、一緒に働き、一緒に変わってゆかざるを得ないのである。それで、そこにどうしても引かれてしまうのである。ジャーナリストの人々なども、悲愴な使命感によって、これと似たようなことを言うけれども、それとは違う。あの人々は、自分と世界とは別のものだとやはり思っているから、悲愴な使命感にもなるのだが、そも自分とは世界であるなら、そんなものはもちようがない。「自分が何かをする」という意識が、彼らにはもはやないのである。」(『ロゴスに訊け』「世界は神々の遊戯である」より)


紹介した文章の末尾には「自分に悪いことは他人にも悪いことだ、この当たり前にして不思議な事実に人々が気づくとき、世界と歴史は少しづつよくなるのではなかろうか。」と結ばれている。この当たり前のことを世界で共有するしか、人類の進歩はないのだろう。冒頭の戦場ジャーナリストは、戦地に住む市井の人々を取材することを信条としていたというから、悲壮な使命感だったのかどうかは別にして、「自分にとって悪いことは他人にとっても悪いこと」を共有することを担っていたとも言えるのではないだろうか。