哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

脳には何にもわからない(週刊新潮連載今週号の「人間自身」

2005-11-27 17:37:30 | 哲学
 池田晶子さんの週刊新潮連載「人間自身」今週号は、「脳には何にもわからない」という題でした。前回の続編でもあります。主なところを要約しつつ抜粋します。

「自分とは何か、世界とは何か、これ以上どうも考えられないときに、人は「脳」と言う。「脳が」そうなっている、とか、やがて脳の全容が解明されればそれは明らかになるだろう、とか。言わばそれは、自ら考えることを放棄して、わからないことを放り込んでおける便利なバケツみたいなものである。だから「脳」は「遺伝子」と並び、科学時代の神であると私は言うのだ。
 「脳」ということにして論を進めるのは、物質としての脳から非物質の意識が「生じた」などと言えるはずがないからである。意識とは、そこにおいて認識の一切が成立している、世界そのものである。脳についての認識すら、意識において成立しているのだから、脳なのか意識なのかは、ニワトリとタマゴである。」

 物質たる脳と精神たる意識の相違ですが、どうしても脳の科学的解明によって人とは何かが説明できる、と思ってしまうのが「バカの壁」だ、と池田さんは言っています。

 そして認識の一切が成立する意識と言っていますが、脳があるから意識があるのか、意識があるから脳であるのか、つまりニワトリが先かタマゴが先かなんですね。いずれにせよ、意識一つで完結しているではないか、そしてそれが世界そのものだと。この辺の話はどうしても我々凡人の理解を超越してしまいます。「バカの壁」でしょうか。

 今回の文の中にある言葉「バカの壁を突破するには知恵の槍をもってせよ」ですが、この槍は日本には1本しかないのかも知れません。