今月発売の文藝春秋の塩野七生さんの連載記事は「知ることと考えること」でした。
言いたいことは要するに、情報を多く集めて「知る」ことは出来ても、「考える」ことをしなければ、ものにはならない、ということでした。
しかも、塩野さん自身はパソコンも使えないアナログ人間であると書いてありましたが、それならまるで池田晶子さんと同じです。今回は塩野さんの代わりに池田さんが書いたのかと思ったほど文章内容に類似性がありました。
最後の一文には、(コンピューターとかで)情報を収集する時間を削って、考える時間を増やしてはどうか、と書いてありました。
しかし、考える時間を作っても、何をどう考えるのかが問題ですよね、本当は。
言いたいことは要するに、情報を多く集めて「知る」ことは出来ても、「考える」ことをしなければ、ものにはならない、ということでした。
しかも、塩野さん自身はパソコンも使えないアナログ人間であると書いてありましたが、それならまるで池田晶子さんと同じです。今回は塩野さんの代わりに池田さんが書いたのかと思ったほど文章内容に類似性がありました。
最後の一文には、(コンピューターとかで)情報を収集する時間を削って、考える時間を増やしてはどうか、と書いてありました。
しかし、考える時間を作っても、何をどう考えるのかが問題ですよね、本当は。