核兵器禁止条約の批准国・地域が50に達し、来年1月発効へ、島岡美延です。
そんなニュースに一筋の光を感じながら、川崎市平和館へ。
87歳の写真家、小池汪氏の写真展『戦後75年 戦争暮らし』(入場無料、30日まで)。
銃を持つ兵士のもう一つの顔は、暮らしの中で父、夫、兄としての顔…、そんなタイトル。
「写真家が主催し協賛する市民による写真展」には、小さな子どもの家族連れも。
1930年代、中国大陸で戦争を始めた日本。太平洋戦争で日本全土が戦場に。
川崎には、関東軍満州731部隊と協力関係にあった登戸研究所、連合艦隊司令部の蟹ヶ谷通信基地壕がありました。
慶応義塾日吉校舎の連合艦隊司令部の地下壕では、快適な設備が整い、司令官はフランス料理を味わいながら、特攻命令を出していた…。
たとえ、画面に人物が映っていなくても、“そこに生きる人々”が感じられる写真。
小池さんのフロアトークで「撮影中、逮捕の危険を感じた体験」も伺いました。
“自分には、今は戦後ではない”との言葉、重く受け止めました。
そんなニュースに一筋の光を感じながら、川崎市平和館へ。
87歳の写真家、小池汪氏の写真展『戦後75年 戦争暮らし』(入場無料、30日まで)。
銃を持つ兵士のもう一つの顔は、暮らしの中で父、夫、兄としての顔…、そんなタイトル。
「写真家が主催し協賛する市民による写真展」には、小さな子どもの家族連れも。
1930年代、中国大陸で戦争を始めた日本。太平洋戦争で日本全土が戦場に。
川崎には、関東軍満州731部隊と協力関係にあった登戸研究所、連合艦隊司令部の蟹ヶ谷通信基地壕がありました。
慶応義塾日吉校舎の連合艦隊司令部の地下壕では、快適な設備が整い、司令官はフランス料理を味わいながら、特攻命令を出していた…。
たとえ、画面に人物が映っていなくても、“そこに生きる人々”が感じられる写真。
小池さんのフロアトークで「撮影中、逮捕の危険を感じた体験」も伺いました。
“自分には、今は戦後ではない”との言葉、重く受け止めました。