カンボジアマジックなる言葉。

「和尚、カンボジアマジックって言葉、知ってる?」
「うん、今回わかった。みんながここへ来たいのがよくわかるよ」

私は昭和33年生まれだ。小学生の説きまでは、東京でも畑には「肥溜め」があった。井戸水も飲んだ。

今回、若い仲間が連れて行ってくれた、ベトナム国境に近いプレイクラン村には、肥溜めこそなかったが、電気や水道はない。お米は沢山とれるが、安くしか売れない。
みんなが経済的には貧しい村だ。
しかし、自然豊かな田園だ。
子供たちは、とことん純粋に見えた。
 彼らの目に、「心がとろけそうになる」と表現する若い仲間もいる。

 今回私の心ばかりの基金(皆さんが本を買ってくださったおかげです)を託したのは、カンボジア政府公認の日本のNGOではない。政府の公認を取るには賄賂や、何をやるにもその他の煩雑な手続きが必要で、困った人に直接、今必要なことをできないからだ。

 校長先生の家の二階で、蚊帳(これもひさしぶりだ)で一泊。一階には万が一を考えて、銃を持ったお巡りさんが寝てくれていた。--まだそういうところである。

 日本との時差は二時間。しばらくは、太陽を観ても、月を見上げても「この太陽が、この月が二時間後にあの村の子供たちや田んぼの上にいくのだな」と思うだろう。 



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