廃墟を造り、それを平和と呼ぶ

『ローマ人は廃墟を造り、それを平和と呼ぶ』タキトゥス

 超宗派の集まり仏教情報センターhttp://www2u.biglobe.ne.jp/~bukkyo/1whois/index.htmlの一団体『仏教ホスピスの会』の通信『みちしるべ』(今日送られてきました)の表紙の言葉です。

 調べてみるとタキトゥスはローマ時代の歴史家にして小説家。『ゲルマニア』の作者。

 どうも表記の言葉はその『ゲルマニア』の中の一文らしいです。

 実際にどのような場面で使われているのか知らないのですが、この言葉だけとりだしても面白い言葉ですね。

 敵の建物を廃墟にして「これで私たちは平和になった」と言っているローマ人を揶揄したともとれるし……。
 かつての栄光の御旗のような立派な建物も、それを守るほどの努力もしないほどノウテンキになってしまい、手入れもしないから廃墟のようななってしまった…それでもローマ人は自分たちのことを平和だ、と言っているのか……

 前者なら「傲慢さ」を揶揄し、後者なら「だらしなさ」に呆れているとも言えます。
 何十年後からの歴史家に「坊さんたちは、本堂を廃墟にし、人の心を廃墟にし、それを平和とよぶ」などと言われないにしたいものです。

 写真は節分の時に見にライブをやってくれた私の若いお友だち『輪』のギター(この日は三線も)&ボーカルの松谷君と、ジャンベの水流(つる)ちゃんの二人。たき火、北風小僧の勘太郎、雀がサンバとオリジナルを歌ってくれました(今月十二日の新小岩南口徒歩五分のライブハウスでやる聲明ライブも一緒にやってくれます)。

 とりあえず密蔵院の本堂は廃墟になっていません。わははは。
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コメント
 
 
 
「快挙を創り、それを密蔵院と呼ぶ」 (buaisou)
2009-02-07 08:22:49
「参加するお寺」って言うコンセント?

コンセプトでしたっけ?同じようなもんか。

この考え方のは、言い換えれば「みなさんのお寺なんですよ」って事ですよね。

「どうぞ気軽にお寄りください。お待ちしてます」って事ですよね。

「来る者は拒まず、去る者は努力と魅力を駆使して引き留める」ってことですよね。

有り難いですね。嬉しいですよね。

こんな雰囲気を、創り出す「光蔵院」を、平和と呼ぶのでしょうか。

沢山の魅力を持たれているお寺だと、感じます。家の近くのお寺さんとは違うな、なんか光蔵院は「きらきら輝いて感じられる」。

人に「嬉しい!楽しい!幸せ!」って感じさせられなければ、そこから先に進めないのかな。

次に続く感動が「有り難いな、おかげさまで」ってなるんでしょうか。
 
 
 
褒め過ぎです。 (和尚)
2009-02-07 09:10:46
 あはははは。私は、基本的に、「いらっしゃい」と来るもの拒まずですが、「縁があったらまたおいでくだせぇ」と去る者も追いません。わははは。
 
 
 
春望の… (白雪)
2009-02-07 12:42:30
国破れて山河在りって書出しが好きだな♪
廃墟は…まぁ枯れ木も山のにぎわいってことで♪笑
 
 
 
諸行無常 (和尚)
2009-02-08 12:31:23
宗教団体が巨大な建物を造る時代はかなり前に終わったはずなんですけどね。最近は復活しているみたいです。どうなんだろう……と思います。わははは。
宗教団体が集めたお金の使い方として巨大建造物を造るというのは、非常にローマ的だと思うのは私だけでしょうか。密蔵院の本堂だって普通の家にくらべたら巨大ですけどね。ぎゃはははは。
 
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