「梅雨空の下で、上を思う」のこと。

 高速道路のパーキングに新しくお目見えしたという美味しいドーナッツ屋さんの噂を聞いた。
 私はドーナッツは、中心部分だけを食べてあとは食べない(つまり食べない)。今以上に太るからである。
 しかし、美味しいドーナッツ屋さんが幕張パーキングの中にできた話を聞いたばかりなので今日は寄ってみた。お店の名前を見てすぐに「買い!」である。
”ドーナッツ・フラント”というのだ。
 なせ即決したかといえば、今日は化学工場のプラント内の職場でお話をするからである。「プラント」繋がりである。コーディネイトしてくれいてる健康管理室という厳(いか)めしい名前のスタッフは、その名称とは逆のしなやかな女性ばかりのようなので「女性はドーナッツが好きである」という世の常識にしたがっての手土産である。なかなかいいプランと、相成った。わははは。

 職場巡回レクチャーは、岩手宮城の地震速報のアナの話や、浪曲の一節まで聞いていただいた。坊主が何を考え、どのように生きようとしているのか……そんな心意気が、聞いて下さった方の心に何か残せれば、それで良し。いつか花を咲かせる種を植えたことになってくれれば幸いだ。
 この講座今日で6つの職場を回った。二カ月のお休みをいただいて、8月より再びスタート。残り8職場だ。この二カ月でどんな話の材料が増えるのか自分で楽しみにしていようと思う。

 さて、関東地方は長い梅雨の中休みが続いている。「鬱陶(うっとう)しい」と表現される季節だが、このマイナス感情をプラスにかえるために、「雨の日には、雲の上には太陽がある」ことに気づく人が多くなってきたような気がする。

 そうなのだ。どんな雨の日だって、昼間なら雲の上には燦々と輝く明るい太陽がある。それを想像すれば、雨の日だってヘッチャラだというわけだ。

 しかし、それは真実であるにせよ、頭上に重く立ち込める雲とジトジト雨に変わりは有るまい。やはり、燦々と輝く太陽に思いを馳せて元気になった後は、この身が遭遇している雲と雨を受け入れるだけの度量が欲しいと思う。そうでないと、嫌だ嫌だと言って理想的な所へ逃げただけのような気がするのだ。道元が言ったように「雨の日には雨に降られるがよろしい」の境地だ。

 これは、曇りや雨を最初からそのまま楽しむとのと少々異なる。一度は「雲の上にも太陽がある。だから元気になれるじゃないか」という心境になって、再び現実に対応するのだ。雨をそのまま楽しむことができなければ、そうやって一度現実から抜け出て真実の世界に心を遊歩(ゆうぶ)させて、再び戻ってくるほうがいいと思う。

--この話。仏教の「如来」と「環相(げんそう)」ということと共通している。その説明はまた明日!
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