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平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




安井金比羅宮は建仁寺の東側にあります。



社伝によれば、保元の乱に敗れて讃岐で崩御した崇徳天皇の霊を慰めるため、
大円法師が建立した光明院が安井金比羅宮の起こりといわれています。
その後、光明院は応仁の乱の兵火で荒廃し、元禄八年(1695)、太秦安井にあった
安井門跡とよばれていた蓮華光院がこの地に移されました。
鎮守社として崇徳天皇に加えて讃岐の金毘比宮の祭神大物主神を勧請、
源頼政を合祀し、安井の金比羅さんとよばれるようになりました。
明治四年の神仏分離令で、寺は大覚寺に吸収され鎮守社だけが残りました。
源三位頼政の霊を合祀するのは、初代安井門跡道尊僧正が、
高倉宮以仁王の遺児であるためといわれています。

終戦後、安井金比羅宮と改められ、交通安全守護、縁結びの神様として、
また絵馬の奉納でも知られ、本殿東の絵馬堂では、
さまざまな珍しい絵馬を見ることができます。
その中には「男断ち」の絵馬や江戸時代の画家山口素絢(そけん)などの作品もあります。
主祭神の崇徳天皇が配流所の讃岐で、もろもろ一切を断って国家安泰を
祈願されたという故事にならい、悪縁切りの神様としても有名です。

境内の「縁切り縁結び石」には、祈願札が一面に貼りつけられています。



境内の藤棚は、かつて藤の名所として名高かった
安井門跡(蓮華光院)を偲ばせています。
『アクセス』
「安井金比羅宮」京都市東大路通八坂上ル西側下弁天町 
市バス「東山安井」下車、南へ徒歩1分
『参考資料』
「京都市の地名」平凡社 竹村俊則「昭和京都名所図会」(洛東下)駿々堂

 



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