goo blog サービス終了のお知らせ 
平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 



  
建久3年(1192)3月13日、後白河法皇は、六条殿(六条御所)で、
66歳の波乱の生涯を閉じました。大音声に念仏を唱えながら、
に定印を結び座ったままの大往生であったという。

遺骸は蓮華王院東、法住寺殿の一角に設けられた法華堂に埋葬されました。
堂の内部には後白河天皇の法体姿の木像を安置し、
床下地中には、石室が造られ棺が納められました。
その北隣には建春門院滋子の墓所の法華堂があったので、
蓮華王院の千手観音像に面して二つの法華堂が並んでいたことになります。

現在、滋子の陵地は不明、後白河上皇の法華堂のみが残っていますが、
幕末、全国的に幕府が行なった天皇陵修築の際に
新設された門が邪魔をして法華堂の全容は見えません。

土日祝日は、御陵の扉は閉じられています。

御陵の参道は法住寺の北側にあります。

後白河天皇法住寺陵





法住寺水天門(竜宮門)

当時は現在の法住寺水天門を通る参道でした。
水天門前にたつ「旧御陵正門」の石碑

法住寺本堂

天正14年(1586)に三十三間堂は豊臣秀吉が造営した方広寺の
三内寺院とされましたが、豊臣家滅亡後、三十三間堂はじめ
大仏殿、新日吉神社など、すべて妙法院の管理下におかれました。

御陵の南に接する法住寺は、後白河天皇陵の守護寺として
妙法院によって建立され、法住寺殿にちなんで寺名としました。
明治維新後、御陵を宮内庁が管理するようになり、
大興徳院と改められましたが、昭和30年、再びもとの名にもどりました。
本尊の不動明王像は「身代わり不動」とよばれ方除け・厄除けのご利益で知られ、
大石内蔵助もあだ討ちの成功を祈ったと伝えられます。
これに因んで赤穂四十七士の像が本堂に祀られています。
また寺では
「今様歌合せの会」が開かれています。
『アクセス』
「後白河天皇陵」
京都駅より市バス「博物館・三十三間堂前」下車2分
「法住寺」京都市東山区三十三間堂廻り655
『参考資料』
「京都市の地名」平凡社  竹村俊則「昭和京都名所図会」(洛東上)駿々堂 
安田元久「後白河上皇」吉川弘文館 森浩一「京都の歴史を足元からさぐる」(洛東の巻)学生社

 



コメント ( 5 ) | Trackback (  )


« 三十三間堂(蓮... 新熊野神社(... »
 
コメント(10/1 コメント投稿終了予定)
 
 
 
河上皇・法皇は複雑なお人柄 (後白)
2012-08-05 23:53:37
天皇に即位する順もずっと後なのに、運の強さで天皇に、その後も実力を持った上皇・法皇…この世の中で一番偉い人であり続けるには足元の貴族、武士などを支配し、奉仕させ続けなければならないと、
近臣と権謀術数を巡らせて、清盛、義朝、義仲、義経、最後は頼朝までも振り回した「名君?」

それ以外の天皇達に比べて形破り、意思の強さも趣味の多さでも、父親の鳥羽法皇に似ているのかも。
歴史でもずっと出てくる人なのに、御陵はどこ?祀ったお寺はどこ?と問われても素人は誰も知らない(笑)歴史の教え方にも問題があるのかも。

無知な義経が兄頼朝に追いつめられる元を作った元凶もこの人だろうし…。

そのお寺が江戸の昔から「方除け・厄除けのご利益」で賑わい、現代も節分会が賑やかに行われているなんて、その風景にはとても胸が暖かくなりました。
白峰神宮がサッカー関係の尊崇を集めているのと同じですね。
祀られた人達は苦笑しているでしょうか?
 
 
 
ごめんなさい! (yukariko)
2012-08-05 23:56:57
先のコメントのタイトルが入力ミスで「後白河法皇」の「後白」が抜けました。
その後、主語が全く入っていないので分かりにくいです。済みません。
 
 
 
よくわかりますよ。 (sakura)
2012-08-06 16:28:06
法住寺ではご住職が今様の復活保存に努められ、後白河天皇陵の法華堂に安置されている後白河法皇像を模刻した木像も今様歌合せの会の際に開扉されるそうです。

雅仁親王(後白河天皇)は皇位継承の望みがないことを良いことにして今様に明け暮れる毎日、帝王学も帝王らしい振る舞いも身につけることもできず、政治的には全く不遇の立場だったわけです。
鳥羽と美福門院の子・近衛天皇が皇子のないまま若くして亡くなったことが雅仁の運命を大きく変えることになります。美福門院の養子に迎えられていた雅仁の子・守仁親王(二条天皇)の中継ぎとして後白河に天皇の位が転がり込んできたことはよくご存知だと思います。保元の乱で兄の崇徳を滅ぼし、その三年後の平治の乱では源義朝を敗死させ、対立相手だった二条天皇も亡くなり、後白河上皇、清盛の全盛時代を迎えることになります。
最初無能な天皇と思われていた後白河が政治権力を一身に集めるようになると、したたかな政治家であることがわかってきます。平家を栄達に導き、その平家を滅亡させたのも後白河ですし、
陰謀によって義仲、義経、頼朝と武士同士を戦わせ、次々破滅させます。その勝利者頼朝が強く望んだ征夷大将軍の位は頑として与えず、仰るように後白河は
名君?です。
頼朝は後白河が死んでやっと征夷大将軍に任命されます。
 
 
 
合成画像の作成手順 (ひろ庵)
2012-08-08 17:57:53
合成画像の作成手順をHPにアップしました。
ていねいで親切な分かりやすい解説なので、当日の説明解説は不要と思いますよ。
 
 
 
ありがとうございました (sakura)
2012-08-10 14:52:45
先ほど訪問させていただきました。
画像も用意しています。当日はどうぞよろしくお願い致します。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。