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祇園祭の浄妙山は『平家物語・巻4・橋合戦』の一節を描いています。
橋合戦で見せた僧兵独自の戦い方は、浄妙山の山車に再現され、
今もそのありさまを偲ぶことができます。
平家軍の大軍と宇治橋をはさんで奮戦する源頼政・以仁王(もちひとおう)軍の
中に三井寺僧兵の姿がありました。筒井浄妙は、大奮戦をしましたが、
とうとう腰刀だけになってしまいました。そこへ後ろに続いていた一来(いちらい)法師が助けに入り、
浄妙の頭上を飛び越え、
「悪しゅう候、御免あれ」と前に進み出て奮戦した様子を現し、
かつては「悪しゅう候山」とよばれていました。
人形(御神体)は宇治橋に見立てた屋台の上で、
一来法師が浄妙坊の頭上を越える迫力のある一瞬をとらえています。
この合戦がきっかけとなって、諸国の源氏が次々と蜂起して
平家を打倒、遂に源頼朝が鎌倉幕府を開きました。
これをもって「浄妙山」は、縁起の良い勝ち運の山といわれています。
祇園祭りは平安時代にはじまった悪霊や疫病祓いの祭りですが、
悪霊や疫病祓いには、一人で何人もの平家軍を相手にして戦った
屈強な浄妙坊のご神体はぴったりです。
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浄妙坊の頭に片手をついて飛び越えているのが一来法師です。
浄妙山が着用する「黒韋威肩白銅丸(くろいとおどしかたしろどうまる)は、
室町時代作で楠木正成着用のものといわれ、昭和45年、
国の重要文化財に指定されましたので、巡行当日は別の胴丸を着けています。
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漆塗の宇治橋に多くの矢が刺さっている様子が現され、
戦いの凄まじさがうかがわれます。
宇治川の流れを現わす波の欄干を周囲に巡らし、
両側には柳を立て川岸の雰囲気を出しています。
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前掛は長谷川久蔵筆の「桜図」からのものです。
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たった1本の木で上のご神体を支えています。
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胴掛は綴錦織「柳橋水車図」です。
浄妙山ゆかりの宇治川の流れを表した長谷川等伯筆屏風絵からの作品です。
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会所飾り公開:14日午前11時~16日午後11時
浄妙山会所 京都市中京区六角通烏丸西入骨屋町
右は三井寺の僧兵浄妙坊と左が同じく一来法師の御神体
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山鉾巡行は、平成26年に7月17日の前祭(さきまつり)と7月24日の後祭(あとまつり)の
2度の巡行が49年ぶりに復活し、前祭は23基、後祭は10基の山鉾が巡行します。
後祭の巡行マップは、KYOTOdesignよりお借りしました。 (2018年6月追記)
宵山の期間中に行われる屏風祭で、屋島合戦と鵯越逆落しの屏風を見ることができます。
(六角通の西角にある六角館にて 新町通六角下ル)
祇園祭橋弁慶山 橋合戦(宇治橋・平等院)筒井浄妙・一来法師
祇園祭保昌山(平井保昌と和泉式部)
『参考資料』「浄妙山」財団法人浄妙山保存会、2009年
「日本の祭り文化事典」東京書籍株式会社
「橋合戦」の記事だと思っていたのが読み進むうちに『なるほど!』
ご神体の「筒井浄妙明秀」「一来法師」の写真だけでなく、実際に飛び越えている写真と「浄妙山」の解説まで付いている!…あのポーズの人形を木の楔で支えているというのが凄い!と誰だって思いますね。
後は対比させたかのような静かな宇治川と平等院・表門・鳳凰堂
本当に素晴らしい記事で、写真が揃っていて、展開も難しい語句の解説も、西行の歌まで揃っているので、もう『ワクワクどきどき』(笑)
全部終了したらぜひHPにまとめ直してくださいね。
どんどん素晴らしくなるので本当にもう一度読み直したい!
その時はコメントに追加で書き加えてくださった事柄もプラスしてね。
コメント欄にも私の気づかない点にも気がついて、書いて頂けたりするので、
その度に資料を開いてお返事させていただいています。私にとってコメント欄はとても大切です。
いつ出来上がるか分からないブログですが、yukarikoさんは、私のPCの先生ですから、完成したら一番に相談させていただきます。
「浄妙山の山車」にも再現されている軽業師のような戦い方は僧兵独自の戦い方だったようです。
一来法師の人形を木の楔で支えているというのは本当に凄い!
なお浄妙坊の黒革縅の鎧は重要文化財だそうです。
西行は「源平の戦い」それに続く「源氏同士の悲劇」を、少し距離をおいた所で見守っていて、「そのあわれ、無常」を和歌に多く詠んでいます。
記事に入れようと2、3首選んであります。また紹介させてください。
昨日後祭で浄妙山を見て参りました。これが橋合戦をモチーフにした物かと感心いたしました。
各家の家宝を飾り、通行人に見せる中に、鵯越の坂落とし、屋島の合戦の屏風が有り、美術館級に感心した所です。
後祭は、人も少ないので、ゆっくり見物が出来、とても楽しかったです。
sakuraのblogを便りに又徘徊します。
一昨年から後祭り復活が復活し、後祭の宵山期間中は
歩行者天国も露店もないので、その分、
ゆっくり見物することがおできになったのですね。
旧家で披露される屏風、お宝それに豪華な懸装品をまとった
山や鉾を見るのもこのお祭りの楽しみのひとつです。