平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




寿永3年(1184)正月、平氏追討のため西国へ出陣しようとしていた
木曽義仲は鎌倉から頼朝の命を受けた東軍の軍勢、
大手の大将軍頼範、搦手の大将軍義経軍が都に向かってきたと聞いて
軍勢を宇治や瀬田に配置しました。宇治川を挟んで義経軍と
義仲軍が向かい合い、この合戦で義仲軍は敗れ
散り散りになってしまいました。

ここから『巻9・義経院参(いんざん)』のあらすじをご紹介します。

宇治川の合戦で義仲軍勢を敗った義経は、一気に京へ軍を進め、
後白河院の身柄を確保しようと、真っ先に院御所に駆けつけました。

ところがその時、義仲は呑気に最愛の女房の家に立寄り、
急き立てても
いっこうに出てくる気配がないので、郎党はたまりかねて
腹をかき切って
義仲に出発を促します。ようやく重い腰をあげた義仲が
六条河原に出てみると、
続々と義経軍が現れ、とうとう主従7騎になってしまった義仲は、
瀬田にいる乳母子今井四郎兼平のもとに落ちていきます。

平業忠(なりただ)が御所の土塀に上って周囲を見回していると、
白旗を掲げ甲冑に身を固めた武士たちが五、六騎
こちらに向かって馳せ来る様子が見えます。義仲が戻ってきたと驚き
大騒ぎになりますが、よく見るとその軍勢は鎌倉勢でした。

義経が門前で馬を下りて声高に「鎌倉の前右兵衛佐(すけ)頼朝の弟九郎義経が
参上しました。」と言うと業忠は嬉しさのあまりあわてて土塀から躍りおちて
腰を打ちますが、痛いのも忘れ這いながら御前に参ってこの由を申し上げます。
門が開けられ法皇が「中々雄々しげな者どもよ。みな名を名乗れ。」と仰せになります。

赤地の錦の直垂に紫裾濃(すそご)の鎧着て、
鍬形打った兜(威容のために兜の前に打った前立物)の緒を締め、
黄金づくり(黄金で装飾した)の太刀を帯(は)いているのが
今度(こたび)の大将軍、生年二十五歳の義経です。
紫裾濃は、上の方が白で裾に向かって次第に濃い紫色になっています。

残る五人の鎧は様々ですが、精悍不敵な面魂いずれ劣らぬ強者ぞろい。
次に「畠山重能の子、次郎重忠、生年二十一歳!」
「河越重頼の子、小太郎重房、生年十六歳!」」
「渋谷重国の子、右馬允(うまのじょう)重助、生年四十一歳!」
「梶原景時の嫡子、源太景秀(かげすえ)、生年二十三歳!」
三目結(ゆい)の直垂に、小桜を黄に返した鎧の裾金物が、
ことにきらめいて見えるのは「佐々木秀義の四男、四郎高綱、
生年二十五歳!今度の宇治川の先陣」と次々に名乗ります。
そこへ味方の兵が続々と馳せ参じて四方の門を固めると、
法皇はじめ御所中みな安堵の思いに包まれます。こうして後白河院と
後鳥羽天皇の身柄を手にした義経は官軍、義仲は賊軍となりました。

当時、後白河院は平業忠邸を御所としていました。
この御所は六条西洞院にあったので六条殿と呼ばれました。
 
長講堂写真集(後白河院の御所六条殿内の持仏堂)  クリックして画像をご覧ください。 

ところで伊豆に配流された頼朝の生活を二十年間支え続けたのは、
頼朝の乳母比企尼であったことは以前に述べました。
義経の初陣である義仲追討の戦いに、
嫡子重房とともに従った河越重頼の妻がこの尼の娘です。
頼朝は鎌倉に本拠を構えた時、比企尼の恩に報いるため、
尼を鎌倉によびよせ、その中心地の一角に
比企谷(ひきがやつ)とよばれる広大な土地を与えます。
鎌倉駅にほど近い現在の妙本寺がその館跡です。

重頼の妻は、のちに義経の正妻となる娘を生み、
政子が頼家を身ごもった時には比企谷の館は産所として使われ、
彼女は頼家の乳母の一人となります。
しかし頼朝と義経が不和になったことから、重頼の運命は大きく変わり、
所領を没収された上に重頼と嫡子重房は頼朝に殺害されます。
ちなみに平泉で義経と運命を共にした妻は重頼の娘とされています。

木曽義仲との法住寺合戦の際、法住寺殿を焼かれた後白河法皇は、
捕らわれて摂政近衛基通邸から側近平業忠の屋敷に遷されます。
六条西洞院のその屋敷は法皇の御所六条殿とされ、建久三年(1192)、
法皇はこの御所において、66歳でその波乱に富んだ生涯を終えます。
その際、業忠はお棺を担いで葬車に入れる重要な役を担っています。
平家を都おちさせて、京に入った義仲に
宿所として与えられたのもこの業忠の屋敷でした。

義経が頼朝に追われる身となった時に、逃亡中の義経に様々な人が
援助の手を差し伸べましたが、その中に、平業忠の名がみえます。
文治元年(1185)11月、頼朝の申入れで、
業忠は逃亡中の義経を助けたという名目で左馬権頭を解任されました。
『参考資料』
新潮日本古典集成「平家物語」(上)(下)新潮社 「平家物語」(下)角川ソフィア文庫
水原一考定「新定源平盛衰記」(4)新人物往来社 田端泰子「乳母の力」吉川弘文館
安田元久「武蔵の武士団」有隣新書 
上横手雅敬「流浪の勇者源義経」文英堂
安田元久「後白河上皇」吉川弘文館 別冊歴史読本「源義経の謎」新人物往来社

財団法人古代学協会編「後白河院」吉川弘文館 
 

 



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