風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

パリ同時多発テロ

2015-11-16 01:31:35 | 時事放談
 13日の金曜日に、パリとその近郊で起こった同時多発テロは、今朝の日経によると、死者128人、ケガ人250人以上で、うち100人が危険な状態にあると言うので、死者数は更に増える可能性がある。オランド仏大統領は、第二次世界大戦以来初めての非常事態を宣言し、国境を閉鎖し、ISによる犯行と断定し、そのISも犯行声明を発表した。
 10月31日のエジプトでのロシア機墜落や今月12日のベイルートでの自爆テロなどに続くもので、ISの暴力は域外に広がっている。しかも何人もの個人が大型で高度な武器を使って襲撃のタイミングを合わせるなど周到に準備しており、ISの組織力を懸念する声もある。これまでイスラム社会に対するアメリカをはじめとするキリスト教国の歴史的な仕打ちを非難する議論を幾度となく複雑な思いで聞いて来たが、テロ行為自体は断じて許すことは出来ない。
 各国首脳は早速コメントを発し、犠牲者への哀悼の念と、遺族およびフランス国民への連帯と、国際社会の結束を語った。そして、その思いを具体的に示すため、世界各地の有名な建造物をフランス国旗の3色にライトアップする動きが広がっており、今日、東京タワーやスカイツリーも3色にライトアップしたようだ。アマゾンはトップページに「Solidarite」(団結とか連帯の意味らしい)の文字とともにフランス国旗の画像を表示し、画面をスクロールしないと商品が見えない。グーグルは相変わらず宣伝のないシンプルなトップページに、黒いリボンを掲げた。ユーチューブはアイコンを3色に染めた。パリでは助け合いの精神が住民らに広がり、移動に困る観光客らを無料で乗せるタクシーや、帰宅困難な人を自宅に泊める人たちの地図がインターネット上に公開されているらしい。
 私も、多少なりともそんな「気分」を、14年前の2001年9月11日に、出張中のアメリカ西海岸で感じた。パリ同時多発テロの報道を見ていると、そんな忘れかけた、しかし忘れようもない「気分」を思い出してしまう。
 翌日帰国するために、出張の仕上げをしなければと気合いを入れて目覚めた朝、寝ぼけ眼に飛び込んだのは、NY世界貿易センタービルに旅客機が飛び込む映画のような映像だった。信じられない思いのまま、いつもより遅れてオフィスに到着すると、いつもにも増して静かで沈痛な雰囲気に包まれていた。かつてボストンに駐在した私にとって、私も使っていたようなボストン発ロス行きアメリカンやユナイテッドが狙われたのもショックだった。同僚と昼食に出たとき、車の屋根に小さなアメリカ国旗を掲げる車を多く見かけ、ラジオは刻々と明らかになる犠牲数を報じながら、かなり混乱しているようだった。その後ほどなくしてブッシュ大統領が「犯罪」ではなくテロとの「戦争」を呼びかけたとき、一瞬戸惑いつつも、思い直して受け止めた。当日入国するはずだった同僚は飛行機とともにカナダに連れて行かれて、ホテル手配が必要になった。アトランタに出張中だった同僚は、飛行機を使えなかったばかりに、行けるところまでレンタカーでと、シカゴまで運転するハメになったと聞いた。当日のあの時間、世界貿易センタービルにのぼる前に忘れたカメラをホテルに取りに帰って難を逃れたイアン・ソープほどのニアミスではないものの、同ビル傍のホテルに滞在していた出張者もいたことが判明した。空港閉鎖のため結果的に2日間の足止めを食らい、予めハサミ等の危険物を捨てて、サンフランシスコ空港で機内に乗り込んで、ようやくほっとひと息ついたが、あのときの「気分」は、たとえアメリカのこととは言え、忘れ去ることなく肌に染みついている。
 日本では、直近で来年5月に伊勢志摩サミット、そして2020年にはオリンピックが控える。「連帯」を唱えるのはよいが、作法(所謂戦時国際法など)がある戦争すら忌避するほどの平和な日本で、万が一とは言えテロと戦う覚悟は出来ているのだろうか。私自身も含めて、何とナイーブではないかと心寒く思わざるを得ない。それが極東の島国の良さでもあるのだが。
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